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それから1週間ほどの間に、僕の元には数枚の不合格通知と、1通の「補欠」合格通知が届いた。補欠合格通知を送ってきたのは、僕が一番行きたい2学部のうちのひとつだ。この学部は「補欠」とだけ通知し、合格への繰り入れは個別に郵送通知していた。一応、繰上合格人数を発表する自動音声案内の電話サービスをやってはいたけど、自分が上位何番目なのかわからないと目安にもならない。
僕はやっぱり予備校による模擬試験の限界を感じていたんだが、模擬試験はその学部に行きたい人だけで成績上位者を出す。だけど、現実の入試は「上位大学の滑り止め」として受験する大量の受験者がいる。この学部は当時日本でも一番「熱い」学部で、東大の滑り止めとも言われていたから、優秀な受験者がいっぱい集まっていた。予備校の模擬試験で「この大学には行ける」と占われた大学より、実際に入れるのは2枚3枚下の大学だと思っておいた方が良さそうだ。まぁ早く言えば、僕はそういう人たちに押し出される形で「補欠者」以上の立場は得られなかったということだ。
直前の政治経済詰め込みは、別に悪くなかったと思う。だけど、他の大学から届いたのは全部不合格通知だったわけで、つまり僕はどこにも受かれなかったわけだ。
久しぶりに登校すると、大学名でハッタリかまし合ってた文系友達は全員少々ハイな状態だった。顔を合わせて「どうだった?」と元気よく質問すると「全滅だよぉ~~~~~ん!!!」みたいな若干無理とも言えるテンションでお互いに自嘲し合った。そのあと担任がやって来て、今年の入試は進学クラス創設以来と言えるぐらいの厳しい結果だったことを報告した。
なぜだかわからないが、僕には高校の卒業式の記憶がほとんど残ってない。はっきり覚えているのは、山本くんが、みんなが入試に悲鳴を上げている間にゆうゆうと教習所に通って免許を取得しており、学校には内緒だったが卒業式には車で通学していたことだ。学校の近くのコインパーキングに車を入れて、体育館で行われた学年全員での卒業式のあとにクラスに戻った際、免許を見せてくれた。そして帰りには、みんなでそのパーキングまで行って車を見せてもらった。ファーストカーとしては贅沢なぐらいの黒いスポーツカーだ。カッコつけるためにスポーツカーを持つのなら赤が定番、という僕の勝手なイメージがあったのだが、黒にしたところに山本くんらしさを感じた。そして彼がその車に乗り込み、颯爽と去って行った、この下りだけはいまでも鮮明に思い描ける。というか、むしろいまの方が記憶がハッキリしてるんじゃないかと思うぐらいだ。
「ええなあ……」
去って行く車を見ながら、誰ともなしにつぶやいた。そのあとはしばらく誰も何も言わなかったような気がする。誰か何か言ったが、僕には聞こえなかったのかも知れない。山本くんの何が「ええ」のか、早々と進路を決めたことなのか、スポーツカーという贅沢品のオーナーに早くもなったことなのか、誰も何も言わなかった。誰もそれを説明しなかったが、多分全員同じことを考えていたと思う。
山本くんの黒いスポーツカーにいつまでも魅了されて呆けているわけにはいかない。僕ら文系グループは予備校への入学手続きを取った。僕ら文系ズのほとんどは、なんだかんだでターミナル駅近くにある同じ予備校に通うことになった。最大手だからクラスのほとんどがそこの主催する模擬試験の受験は経験していたし、場所的にもベストと言える場所にあった。他には個人でやっている大学受験塾みたいなものなどもあったりしたが、僕にはもうそういうものはトラウマでしかない。二度と関わるまいと心に決めていた。
予備校にも二種類あることをご存じだろうか。ひとつは法律上もちゃんと「学校」である予備校。もうひとつは、法的な根拠はなく位置づけとしては「私的勉強会」でしかない予備校。
法律上の学校であるためには、自前の土地と建物を持ち、その他法律に則って運営する必要がある。大学入試競争の熾烈化に伴って巨大産業となった予備校という商売は、学校法人格を取得したところによって牽引されていた。利点としては、通学定期とか学割とかも使えたこと。法律上も教育機関だから、税金なんかも安くなって受講料を抑えられたこと。逆に欠点は、自前の校舎を持たなければ開校できないなどの制約で、大都市の真ん中に校舎を構えるという形でしか全国展開できなかったことだと思う。
僕らの時代がまさに転換期だったと思うんだけど、このころ「名物講師」を次々に輩出して急成長を遂げていた予備校があった。この予備校が、大手でははじめて「学校じゃない予備校」として成功したと思う。半ばタレント的存在として講師をプロデュースしてその講師と予備校名をとにかく売る。そして全国の支部校にその講師の授業を衛星中継を使って流す。この衛星中継というのがポイントだ。このころ既に、こういう情報通信技術を使えば、講師と受講生を物理的に同じ部屋に入れる必要はなくなっていた。だから、校舎を自前で用意しなければいけないというのは予備校という産業にあっては逆に経営上の制約になりかけてわけだ。
もっとも、この業界なんていつでも変革の波に呑まれていると言っていいんじゃないか。僕らが予備校生になるまでに起こっていた大きな変化は、こういう「正統な教育機関でない学校」において、勉強を教えること、各受講生の勉強の進捗状況を把握すること、質問に答えることが分業されるということだったんじゃないかな。
僕らの通う予備校もそう、というより先陣を切っていた予備校だと言ってもいいかもしれない。授業を受け持つのは、予備校の正規従業員ではない。講義を行うためだけに、年俸制みたいな形で予備校と契約している。いわば、その予備校の生徒にならないとライブ会場には入れないタレントみたいなものだと言ってもいい。人気の高い講師は、多くの受講生の間で「あの講師はいいぞ」みたいに評判になって、大教室が押すな押すなのすし詰めになる。1校舎につき週1講義では他の講義とのバッティングになって受講できない生徒も出るから、週2回とか3回とか同じ講義をしたりもする。そしてそのすべてに出ている生徒が実際にいる。
こんな具合だから人気講師は全国を飛び回って大金を荒稼ぎしていた。その一方で、人気のない講師は契約を打ち切られてあっという間に予備校から去って行くものだった。いずれにせよ、講師の仕事は教壇で一方的にしゃべるだけ。質問は、紙に書いて提出すれば「教壇に上がらない教員」が解答用紙に書いて数日後に質問者に届けられる。日々の勉強で困ったことはないかとか、ひとりひとりの「顔」を見るのはチューターという立場の役割だった。チューターは、地元でそこそこ以上の大学に通っている学生のアルバイトだ。
僕はその後まもなく知ることになるんだが、こういう予備校の講師って、教えるのが上手い人が人気出るんじゃないんだな。受講生を鼓舞して受験というものに対する闘争本能を掻き立て、何よりも大事なのが「この人について行けば合格できるに違いない」と受講生に「確信させる」こと。このとき、本当にこの講師が教え上手でその人について行けば合格できるのかどうかというのは問題ではない。要は受講生が「心酔するか否か」が問題だ。予備校だって商売だ。受講生が合格して、予備校を去って行くことは裏返して言えば予備校にとって「顧客の喪失」なわけだ。だから、実際には口がうまいだけで教えることに関してはからっきしの講師の「信者」が大量にできて落ちても落ちてもその講師の講義を受講しに来るという事態が予備校にとって一番オイシイ。もちろん、そこの予備校の講義を受ければ大学に受かると思ってもらわなければ生徒は集まらないし、嘘を広告するわけにはいかないから実際にある程度の合格実績は作らなければならない。だけどこういう商売のいいところは、合格者は「予備校さんありがとう」と言ってくれるが、不合格者は「自分が悪かったんだ」と考えるところ。どうしようもない不良品だ返品するカネ返せという事件が起きにくい産業だと言える。
だから、予備校の講義というのは無駄に体育会的だ。僕が受けていた英語の授業でも、堂々と「俺はヤクザ」と公言していた講師がいた。この講師の講義では、はじめに講師が「オウス!」と言うと受講生が一斉に「オウス!」と答えるという儀式がある。講師いわく、これは空手家が言う「押忍!」とは関係ないそうだ。「認証」という意味で「オーセンティフィケイション」という言葉があり、しばしばAUTHと略されてるのを知ってる人は多いと思うけど、語源としてはこのあたりと同じで、ラグビーの強いオーストラリアやニュージーランドのラガーたちが勝ちを「誓う」全力を出すことを「誓う」というような意味で、試合前に全員で何回も唱和して士気を高めるんだそうだ。同じことを俺はやってる、ということらしい。併せて、AUという綴りは基本的には「オウ」と発音することを頭に叩き込むためでもあるそうだ。何て体育会的なんだろう。
他の講義では、たとえば教材を今日10ページまで勉強したとしたら、今日の夜には最初から10ページまで復習する。ここまではいい。そして次の授業で20ページまで勉強が進んだとしたら、その夜は最初から20ページまでを復習する。次の授業で30ページまで進んだらその日の復習はもちろん最初から30ページまでだ。これを1年間続ければ間違いなく合格する。当たり前だろそんなの。ごく簡単に考えてこれは「時間が無限にある」を前提しているとしか言えないと思う。僕は思わず剣道部に入っていたころの「ウサギ跳びで校庭10周」を思い出してしまったが、こういう無茶振りはいかにも体育会臭い。本当に「俺はヤクザ」講師が自覚していたのかどうかは知らないが、ヤクザな商売だと思う。
そういう臭さを、僕が好きか嫌いか、今さら話すまでもないだろう。僕は次第に予備校から足が遠のいた。有限の時間をマネジメントして最大の効果を上げる方法を教えるのでない限り、勉強を教えるプロとは言えないと僕は思う。
だけど、僕の親はそういうとても体育会系臭いことを言ってくれる人こそを「熱心な教育者」と思ってしまうという悪い癖があるのはこれももうわかってもらえるんじゃないかと思う。すべては「やる気」で解決できると考えるという考え方だ。父は大卒だが親が金持ちだというだけで自動的に大学に行けたようなものだから入試の実態なんて知らない。そして母はそういう無茶振りに食らいつくことによって人間が成長するという考え方の持ち主だ。それでとっても嫌な目に遭ってるというのに、本当に成長しない。
それにしても、世の中に予備校ほど非生産的な産業(?)はまずないのではないだろうか。集まっている消費者は、全員が「敗者」であり「失敗者」だ。だから顔見知りが集まって談笑しているようでもどっか自嘲的で暗い話題だし、そこにいない人間は間違いなくこき下ろされてる。顔見知りと言ったって、それが脱落してくれれば自分の立場が良くなるという存在でしかないんだから。互いにそういう認識の人間が集まって、目的を達成しても、ダメで最終的には断念しても、その時点で頭の中から投げ捨てていい知識を必死に追いかけている。僕は、産業としての教育が好きになれない。
だけど、予備校というのが「本人が学びたいから行くところ」なのか「学校に入れたい親が子供を行かせるところ」かという基準でどっちかに分類するなら、それは間違いなく後者になる。だって、入学するときには親の連絡先を知らせる必要があるし、校舎で働いている職員の顔と名前なんて全然一致してなくても、入学するときにもらった磁気カードを1日1回カードリーダーに通したか否かで通学しているかいないかチェックされていて休みがちだと親に連絡が行く。大学受験のなんたるかを知らない親に、意味のない、あるいは絶対に実行不可能な、講師の「指導内容」にも食らいつくのが受験勉強だろうと尻を叩かれるほど不愉快な状態はない。
だから、本当に申し訳ないと思いながらも僕は並木くんにカードを預けてしまい、真面目に通学している彼に僕の「代返」をお願いしてしまった。それからは、僕は自分のやりたい勉強をやりたいようにやるという生活に入っていく。生活リズムもいい加減になりがちで、親から見たらいつ見ても寝てるように見えたようで不安だったらしいが、予備校には欠かさず出席していることになっていたから別に気にもしなかった。

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