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 高校は、明らかに親の役割を重視していた。家庭における学習態度、生活態度というものを、学校での授業以上に重視していたと思う。なぜそれがわかるかというと、親を交えての3者面談が頻繁に行われたからだ。
 1学期の期末テストが終わったあと、予定どおり3者面談が行われた。クラスは34人であることは前にも話したけど、僕らの年代としては、1クラスの人数は少ない方だったと思う。だけどその少ない人数を、3日か4日かけて行うという、つまりかなり時間を取っての面談だったということだ。
 理由はもう忘れた。だが、そのとき母はどうしても面談に出る時間を取ることができなかった。だから父が3者面談に来た。面談の内容なんかももう忘れた。とりあえず強く印象に残っているのは、それはこの日がお祭りの日だったということだ。日本三大祭りのひとつに数えられるこのお祭りの一番の見物。様々な美術品で飾られた山車が市内を行列になって行進する。巨大な山車を引いて角を曲がる「引き回し」と呼ばれる操作も熟練の技が必要とされて、引き手の腕の見せ所でありそれ自体もまた祭りの呼び物と言えた。
 僕はその日、朝一番の面談が設定されていた。いくら長い面談だと言っても、午前中早くには用事は済んでしまう。だから、せっかくだからお祭りを見に行こうということになったわけだ。
 世界中に名前を轟かせるこのお祭りを見に行くことができる絶好のチャンスを得た僕が内心考えていたのは「ブロンドのきれいなお姉さんが挙って見に来ているに違いない」だった。おそらく、年間通して一番外国人観光客が集まるのがこの日だろう。だから僕はワクワクしながら路線バスに乗って市の中心まで出たわけだ。
 多くの人が見に来るので、広い通りのいいポイントにはパイプ椅子が並べられて有料観覧席が作られている。当然だがそういう観覧席を買う余裕はないし、そもそもそういう席は有力旅行代理店が何ヶ月も前から席を確保してて当日券なんかあるはずない。だから僕たち父子は有料席の後ろに立ち見で陣取り、祭りのクライマックスを見ることにした。
 僕がもくろんでいたとおり、町中は至る所ブロンドの美女ばかりで、僕はこの幸運に感謝した。しかも、暑い時期だからみんな薄着で、健全な男子高校生として僕はもうウハウハ状態だった。
 だが、この日の幸運はむしろこのあとの方が本題だった。目の前のパイプ椅子に座っている団体さんは、まだいくらも祭りが進行していないうちにその場を立ち去ってしまったのだ。有料席は時間貸しではない。その日1日分の料金を取って確保してあるものだ。そこにあとから誰か来る心配はない。万一誰か来ても「すみません」とひとこと言えばそれで終わりだろう、ということで、僕らは祭りのほとんどを、本来なら高いお金を出さなければ座れない特等席で見ることができたわけだ。
 本当に「いい」と思ったもの、たとえばそれが絵画であったり、放心を感じさせる隙のない動きであったり、圧倒的な説得力を持つ文章であったり、視覚から入ってくるもの以外でもこっちの感情など粉砕してしまうような迫力のある歌声であったり、いずれにせよこちらが予想すらしていなかったレベルで「いい」と思った対象に対しては、人間というのは沈黙することしかできないと思う。
 で、何が言いたいかというと、僕は沈黙してしまったということだ。目の前に現れた山車が飾られるために使われている、世界中から集めたと言ってもいい宝物の数々の前に。毎年全国規模のニュースになるし、地元の独立U局に至っては朝から晩まで生中継だ。だから、テレビで見たことはたびたびあった。しかし、やっぱりテレビで見ることは見たうちに入らないのだな。僕は露出度の高いブロンド美女のことなどもうすっかり忘れていて、目の前を流れていく美術品の数々にひたすらに魅入られていた。
 地元の人間は地元の伝統行事などにあまり関心を持たないのは全国どこでもそうだと思うのである程度は仕方ないとは思うのだが、それにしてもこれほどに華麗にして荘厳なイベントに対して、地元の人間は少し無関心すぎやしないだろうか。絶句するほど美しいものを、こうやって誰もが見える公道上に走らせるという、世界でももしかしたら類例を見ないんじゃないかという行事なのに。
 何も行事に限らない。僕はふらっと、中心からは外れたところにある小さい寺に入ったことがある。日本で剣豪と言えば誰もが最初に思い浮かべる人が、敵対している道場との一対多数の果たし合いになり、初めて自分の剣のヒントをつかんだとされる場所だ。昔は松の木が1本あるだけの寂しい場所だったそうで、だからその松がいまでも地名になっている。この果たし合いは国民的歴史作家の代表作の中でクライマックスのひとつであり、果たし合い自体がその松の木の名前を以て呼ばれる。そういうゆかりのある松の木ではあるが、いまは住宅街の中にひっそりと立つ何代目かの松であり、ハッキリ言っていくらか立派な盆栽程度のものでネリーの森にある松の方がはるかに立派だった。
 だからこれだけ見て帰るのでは何か損をした気がして、僕は周囲を歩き回って見つけた小さな寺に入ってみたのだ。こぢんまりとしていたが庭がとてもきれいで、庭を見渡せる部屋の畳の上に正座していると、なぜか居住まいを正さざるを得ない何かを感じると同時にすごく心安まるものも感じた。あれもひとつの美しさだと思う。
 人工物に限らない。僕が前に住んでいた街は、日本最大の平野の中にあったから景色はどこまでも家・家・家だった。だけど、僕がいま住む市にしても、県庁所在地にしても、周囲を山で囲まれていて周囲の景色は必ず山の稜線というのを背景に伴う。中学生のときは、とにかく周りがみんな敵だったから山の稜線を眺めて「これは僕の景色じゃない」と思ったものだが、それは我ながら「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」が行き過ぎた形だったと思う。冷静に見てみれば、中学校のときに行かされたスキー旅行の時に見た山々と違って切り立ってなくてなだらかな稜線は、朝焼け夕焼けのときなど特にきれいだ。昔の貴族が褒め称えたのも気分はわかる。
 何もかもが憎かった中学生時代は美しさに気づくことすら内心で拒否していたんだと思うが、とりあえず一息つけるようになったいまだからこそ僕は認めようと思う。以前住んでいたところは、街自体が新興住宅地だったと言っていい。どこまで行っても、同じような家が建ち並んでいた。どこまで行っても似たような家が並んでいる割には、一軒一軒の家はなんだか無用な自己主張をしていて、整然としているという感じではなかった。ゴチャゴチャしていた。
 それに比べると、歴史に裏打ちされていて本当に昔ながらの町屋が並ぶ区域もあり、そこここに歴史的な建造物が建ち並び、周囲はなだらかな稜線を持つ山を背負った景色がほぼどの方向を向いても見えるこの街は、確かにきれいだ。歴史と文化では、以前住んでいたあの街はこの街に逆立ちしても勝ることはないだろう。しかし、この街の人間は、そういう重厚な歴史と文化に裏打ちされた都市に住むことができている幸せについて自覚しているのだろうか?
 僕が特に反感を覚えるのが、この街の人間が使っている言葉だ。母方の祖母は生粋のこの街生まれこの街育ちだったから、この街本来の言葉を使っていた。丸メガネをかけていて、受けを狙うわけではないが何気なくつぶやく冗談がとても面白い、そしてときには真理をズバリと突く鋭さもあるおばあちゃんだった。その祖母の、上品で可愛らしく、それでいて一本筋の通った話しっぷりが懐かしい。いまのこの街の人間が使う、ガチャガチャとうるさいだけで品性も知性も感じさせない、それでいて親しみやすさとか面白さとかを無理矢理押し売りしてくるような言葉をどうしても好きになれない。これはテレビの三文芸人が「オモロイ自分」をごり押しするためにテレビの普及とともにごくごく最近作られた俗語だと思う。
 世間的なイメージは歴史に裏打ちされた部分によっていて、上品な言葉というイメージが全国的には強いらしい。だけどいまは日本の中でも最下位を争うぐらい汚い言語だと思う。その雑音のような会話から逃げたいと思う意味でも僕はこの街を離れることをやっぱり考えてしまうわけだが、それを全く覆す存在にこの後まもなく出会うことになるとは、僕自身全く予想もしていなかった。