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僕は剣道において大して強くなかった。運動神経が鈍いから、前の中学にそのままいて続けていたとしても、段には届かなかったかもしれない。だからもし向こうの剣道部に居続けることができたとしても、僕のモチベーションが続いたかどうかもわからない。
だけど、やっていて良かったとはいまでも思う。剣道の世界には「放心」という言葉がある。普通「放心状態」と言うとぼんやり、ぽかーんという状態のことを言うが、剣道の世界では逆にあらゆる方向に対して隙がないように油断なく整えた万全の体勢のことを放心という。達人の型演武などを見ることが少なくなかった僕は、そういう状態で動いている人の動きを「美しい」と感じ取れる一種の鑑識眼が身についた。これが最大の財産だろう。
そんな僕の武道魂が、自分でもすっかり忘れていたのに思わぬところで反応したときには、僕自身少々びっくりした。
ヒマでテレビをザッピングしていた日曜日の昼下がりのことだ。ザッピングだからチャンネルひとつにつき見ていたのは5秒あるかないか。そのわずかの時間だけで、その人の放っている空気に全く隙のない「放心」を感じた。
偶然目に入ったそれは、格闘技でもなければ武道でもない。もし僕がそういう感想を持ったことを本人に伝えたら、その人はそういう見方をされたことが意外だと言うのではないだろうか。そう、武道では全くないにせよ、その人は体の細部にわたってまで全く隙がなく、周囲を圧倒するような空気を放っていた。
その人の名はラリサ・クルィレンコ。あとで調べてわかったことだが、当時ソ連の新体操界を引っ張っていた人だった。黒髪に黒い瞳は、ヨーロッパ文化圏においては逆に異国情緒を漂わせていた。身長は170センチなのにもかかわらず、股下は90センチあるらしい。細くてコンパスのようなその体は、まさにこの競技のために神が作り賜うたと言いたくなるくらい、この競技的に美しかった。
だが、この人の前ではそういう外見的な美しさなどどうでもいいように思えた。リボンだとか輪だとかボールだとか棍棒だとか、とにかく何を持って競技場に現れても、フロアに立ちすっと構えただけで見ている者すべてが思わず居住まいを正したくなるくらいに緊張し、そして彼女に対して注目の視線を向けざるを得ない空気を作っているのが、テレビを通して見ているだけでもわかった。この競技において選手が手に持つそういう道具のことを「手具」と呼ぶことを僕は後に学ぶわけだが、この選手の前ではそれらの手具は自ら意思を持ってこの人の命じるところに従っているように見えるくらい、彼女は全く隙なく手具を扱ってみせた。本人には不本意な表現かもしれないが、それは「女帝」とすら呼びたくなるレベルだった。
我ながら異常なまでの雑食性を持っていたこのころの僕の心は、クルィレンコにもっと威圧されたいと動き出した。とりあえず、やり始めたのは当時刊行されていたアマチュアスポーツ専門誌を買って大会の予定をチェックして、テレビ放送があればそれを録画することぐらいしかできなかったけど。
この手の競技は、オリンピックの時に見るだけ、という人の方が多いだろう。増して、外国人選手を応援するなんて、相当変わった人間だ。でまた、女性のスポーツであるこの競技を好んで見るなんて、男としては相当な変人扱いだった。いかがわしい目的と判断される場合も多かった。でも僕は変人だ。今さら人の目なんて気にしない。元から白人好きだったあいつが、また変な方向性を見いだした、友達の間でそう扱われることも、何の苦にもならなかった。
このころ、新体操界はハッキリ言ってソ連とブルガリアだけが強国で、他は2線級と言っても良かった。で、クルィレンコにとってライバルだったと言えるのが、ブルガリアのニナ・ストエヴァだった。この人はこの人で、クルィレンコとはまた違った意味で観客に息をのませる力の持ち主だった。身長と体重の数値を見たら一般人よりははるかに細いのだが、それにしては女性らしいふくよかさのある体つきで、いかにもという感じのスラブ系美女だった。落ち着いてひとつひとつの動きを検討したら高度な技術と体の柔軟性を誇るのだが、それらを「とんでもないこと」と思えない自然さでやってのける選手で、技術を見せつけるというよりは誰にでもとれる自然なポーズの中にこれ以上はないというくらいの美しい表情をつける技術の持ち主だった。それは、達人の生け花が何気ないようでいて素人の仕事とはまるで違った美しい表情を見せるような美しさだった。見ている者の心を落ち着かせる感じだが、そのためにこの選手はありとあらゆる方向に「放心」していた。
とりあえずこのころの僕は、白人女性のまた別の類型を知ったということだ。東欧や北欧に多い気がするが、本当に人形のような、華奢で壊れやすい芸術作品のような人たち。ダイナマイトボディだけが白人の魅力じゃないということか。
というようなわけで、僕が行きたい場所は必ずしもイギリスだけではなくなっていた。何もかも捨てて巨大なバックパックひとつ背負って世界を流浪するようなことができたらいいだろうな。だけどそのころの僕にはそんなこと夢物語に思えたし、実際世の中でも、いい高校からいい大学へ入って好景気のうちにいい会社に就職するのが「賢い生き方」であってそれ以外の道を選ぶのはそういう流れに乗れない能力の低い人間のやることという風潮があった。
だけど僕は後に知ることになる。そういう風潮に反逆して、この時代多くの人がバックパックだけを伴に世界中を流浪していた。時代が変わったらこの人たちが脚光を浴びたりもしたのだが、僕には立場を捨て去ってバックパック持って日本を飛び出すような行動力はなかったし、いい人生への一本道以外の人生を選ぶことにはやっぱりなんとなく心理的抵抗があった。だからやっぱり、人形のような美少女が当たり前にいる国に1回は行ってみたいというのは僕にとっては夢でしかなかった。そこまで行くところまではないにしても、実際にそういう少女を間近で見てみたいというのはある。見てどうするというものではないけれど、きれいなものを見るのはそれだけで心が洗われるじゃないか。
実際僕は、きれいなものを見ることには結構貪欲で、近所で美術展なんかがあったらまめに足を運ぶ方だった。東ヨーロッパのとある国の国立美術館が所蔵する品の展覧会があったときのことだ。特に美術の本場というわけでもないし、出品物に有名な画家の作品もない。ただ、チケットに印刷されているバストヌードの女性の絵が売りといえば売りなんだろう、ぐらいの期待しか持たずにそれを見に行った。しかし、実際にその絵を見たときには息をのんだ。女性らしい優しさ、あたたかさがその絵からありありと伝わってきた。
ことほど左様に、美しいものを写真やテレビで見るというのは良し悪しなのだ。息をのむほど美しいものがそこにあるのに、写真やテレビであらかじめ見てしまうと「あ、これ知ってる」で終わってしまうことがしばしばある。本当に美しいものには、自分も全力で対峙しないとその美しさはわからない。そして、写真やテレビでは往々にして「これはこういうものです」という「情報」だけが伝わってしまい、その「価値」はごっそり削り取られてしまう。
だから、実際に新体操の大会を見に行きたいというのはこのころ考えていたことではあるんだが、たいていの場合大会は東京で開かれていたし、チケットも決して安くはなかった。僕も覚悟が足りないなと思うところだが、ほとんどが女性であろう観客に混ざるのに恥ずかしさもあった。だからやっぱり僕は何もできなかったわけだが、美術品のような少女に面と向かうということは将来あるのかどうか、僕にもさっぱりわかっていなかった。
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