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例の裁判は続いている。
時々、弁護士からの電話が入る。うちは両親とも働いているし、土日は弁護士だって休みだから、連絡を取り合うのもままならないようだ。弁護士には、かなり無理してもらっている様子が、間で電話を取り次いでいるだけの僕にも伝わってくる。
それだけではない。裁判としてもかなり苦戦を強いられているのがわかる。そりゃそうだ。親子になったんだから安心、と油断しきっていた僕の両親は、それを守るために何が必要かを考えて実行する努力を怠っていた。後に僕が学ぶことになる言葉だが、法律の世界に「権利の上に眠る者を保護しない」という言葉があるそうだ。主に時効制度について語るときに使われる言葉だが、どんなことでも自分たちが既に持っているということを当たり前に思わずに、それを維持する努力を常にする者だけが、その利益を享受できる。
法律とか、銀行の口座を開くときだとか生命保険の契約をするときにもらう約款とか、そういう細かい決まりを定めたものは、普通の人は細部まで読み込むことはしないだろう。それは、普通の暮らし方、利用の仕方をしているのならば、まずトラブルにはならないからだ。逆に言えば、普通じゃないのならば、思わぬ方法で足下をすくわれないようにするためにそういう決まりに精通しておくことは必須の条件だ。そして、養子縁組というのは、親子のあり方としてあまりにも普通でなさ過ぎる。
この両親の息子として考えたくはないが、実の親子というのは本当に強力な関係だ。たとえ生まれてすぐに養子に出されたようなケースでも、実の親子の場合親子関係というのはなくならない。だから親が死ねば、子供にはその相続権がある。他の子供たち等の強硬な反対があったとしても、法定相続分の半分は遺留分として正当に要求でき、これを退ける法律はない。最近できた例外はあるけど。
つまり実の親子を「一体」だとするならば、養親子関係というのは「接着剤で貼り合わせたふたつの物体」だ。いつ剥がれるかわかったものではない。だから、剥がれないようにする日ごろの努力が大切だ。法律的にだけではなく、人間関係でもお互いに関係を維持しようという意思を持っていることを見せ合う必要があると思う。
どう考えてもそういう努力をしてこなかった父は相変わらず間抜けで無能だと言わざるを得ないが、この件については母も悪いと思う。家族というつながりを絶対至高、何ものも侵すことのできない不可分のものだと普段考えているから、それを維持する努力などというものを想定することすらできなかった。実の兄弟姉妹たちとの間には、お互いに「ドンを突かれる」ことのないように過干渉というぐらい関わろうとするくせに、接着剤で貼り合わせて無理矢理作った親子関係は本当にそれと同じくらい強いつながりなのかということを検討すらしなかった。いかにも昔の女らしく離婚というものを犬畜生がやる行為であって絶対あってはならないことと考えていたが、同じ考えでこの親子関係を見ていたから、祖母の方から「三行半」を突きつける方法があるのではなんて考えもしなかった。
法律、約款、契約書。約束事を書いたそういう書面を、誰よりも細かく読み込む職業とは詐欺師だと言われる。そりゃそうだ。裏の掻き方は全部そこに書いてある。これも例の漫画の主人公が言うことだが、社会構造の死角を突くからこそ詐欺とはウツクシイのだ。
そんなわけだから、裁判は苦戦になるのは当たり前だろう。完全にありもしない権利の上でグースカピー状態だったのだから、全額奪還はもちろん遺留分の請求すら苦しい。我々もこの人のためにこれだけやったんです何とかひとつお願いしますと泣き落として、あとはそれがどこまで通るか様子見するしかないだろう。大したことをやってないから、あまり期待はできないけど。
実際に社会問題になる犯罪の中で、詐欺というのはもっとも犯人を法的な罪に問うことが難しいそうだ。それは簡単に言うなら、騙された方が騙した方を罪に問いたければ、騙した人間が最初から騙すつもりだったことを騙された方が立証しなければいけない、この一点につきる。
僕の両親が戦っているこの裁判では、実際に騙された当事者である祖母はもうこの世にはおらず、本当に騙しだったかどうか検討しようにも知っているのは相手だけだ。この人は最初から騙すつもりで実際騙しましたと言うのはとんでもなく難しい。
こういう不利な状況だから、民事としての裁判でもあまりに強硬な要求はできない。そんなに納得いかないなら刑事裁判で白黒つけましょうか、そう言われたらうちの両親はバンザイだ。要するに、殴られることを想定すらしていなかったから、何の対抗手段も打てず好き勝手に殴られてしまい、手遅れなのに慌ててなんとかする手立てを探しているという、そういう間抜けが僕の両親だ。
まぁ、そんなことはハッキリ言って僕には関係ないと思う。両親は、特に母は、子供に家を遺すため、というのをモチベーションにしていたらしいが、僕がいつ家を遺して欲しいとお願いした?家なんか欲しくないから、楽しかった中学時代と、それから引き続いて楽しかったであろう高校生活を、耳を揃えて返してくれ。
弁護士との話し合いは、かなり遅い時間になることも多かった。しょうがないだろうと思う。そう度々仕事を休んだり早退したりするわけにはいかないだろうから、弁護士と話し合いができるとすれば夜だ。
そんなわけで僕は「あり合わせのもんでご飯作って食べといて」という立場に度々なったのだが、以前は毎日その状態だったのだから困るはずはない。むしろいつも喧嘩している夫婦がいないところで、自分が好きなものを自由に食べられるのは楽しかった。
たまには、自分の小遣いで外食した。僕の住んでいるこの市はどういうわけか外食不毛の地で、店が少ないしたまにできても不人気ですぐに潰れてしまう。そんな中で、1軒だけ長い間続いている店がある。長崎ちゃんぽんの店なのだが、ちゃんぽんとしては邪道?と思うが味噌味のちゃんぽんが魚介と味噌の味がマッチしていてとても美味しい。さらに、サイドメニューの鶏唐揚げが美味しい。
中学生の時は、ある意味自分の食以上にネリーの食をどうするかは大問題だった。あの日ゴルフボールに扮してネリーが帰ってきてくれてから、僕の前で「食べる」という行為を一度もしていない。悩みがないという意味では楽なのだが、気になるのも確かだ。
そんなわけでひとりで外食して満足して帰ってきたときの話だ。家が見えたかな、というタイミングで、ネリーが天井裏への通り道になる通気口から中に入る姿を一瞬見たような気がした。だが、それはネリーなのかどうか、僕には自信がなかった。光っているように見えたからだ。ネリーは光る生き物だったか?いや、そりゃもちろんそもそも生き物なのか問題すらまだ片付いていないのは承知の上だ。とりあえず光っているところを見たことはないのは確かだったし、蛾か何かが街灯の明かりをはね返したのが偶然見えただけだろう、僕はその程度でこの件を片付けてしまった
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