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 飛び飛びではあるが、授業には出ていた。それでも、語学関係はもう落としたようなもんだったけどね。
 議論形式の講義は、班別に資料作成したりするから僕が勝手に休むと班のメンバーに迷惑がかかる。だから極力出るようにはしてたんだが「面白くない」のレベルを超えて「不快」だった。どんな内容にせよ、学生が資料を持ち寄って、話し合った結果結論出すのがこの授業の目的だろ?だけど、指導教官が毎回比較対象になっている意見のどっちかに肩入れする。自分が気に入らない方の意見は途中で遮って口を封じ、気に入ってる方は褒め称えながら長々としゃべらせる。そして時間の最後に「こっちの方が説得力があった」と評価するのは決まって肩入れしている方だ。
 そのころ話題になっていた、ある法律の改正論議に関するディベートだ。担当教官は次週の予告としてこう言った。
「来週は、例の法律の改正、いや、改正じゃなくて、改悪だな。それがテーマだ」
 改正なのか改悪なのかは、資料を持ち寄って話し合って僕らが決めることだ。最初から結論を決めて議論なんて言葉の定義からしておかしい。僕は4年間、指導教官の顔色を伺って機嫌を損ねないようにレポートを書き、意見を言い、テストに回答し、単位を取らなければいけないのか?そんなことをして、何か得るものはあるのか?この大学の学生が、総じて課外活動には熱心だが勉強の方は適当な理由がわかった気がした。
 僕は覚悟を決めた。班のみんなには、どうもこの学部の内容は僕が学びたかったものとは違う、とだけ言った。それで籍は置いておくけど、来年また受け直して別の大学に行きたい、と。伊賀くんは、忘れられたいという思いを僕に打ち明けるぐらいだから実はこの大学っていまいちじゃないかという思いを共有していた仲間なんだが、それを失うことに不安の表情を浮かべたように見えた。
 楽しかった邦楽部の方では、副部長先輩にそのことを伝えたら「来年はあの大学と合コンか。楽しみにしてるよ」と言われた。
 それ以来、僕が大学で知り合った人と会ったのは、邦楽部の方で定例開催している発表会で裏方をやりに行ったときだけだ。ステージ上でライトを浴びている部員たちを見て、僕はもう戻れないことを悟った。打ち上げに誘われたが、勉強の多忙を理由に断った。なぜか、とにかくその場から一刻も早く離れたくて、僕はタクシーをつかまえて一番近い駅まで乗った。それはこの県一番の歓楽街でもあるから、タクシーの運転手には「いいですねえ。これから遊びに行かれるんでしょ?」と言われたが、僕は否定も肯定もしなかった。
 僕の親が黙っているはずがないのはもうみんなわかると思う。だけど、それは野生動物が吠えているだけだと、僕はもう割り切った。

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 再度の受験を目指してのスタートに、僕はその学部の説明会を見に行くということから始めることを選んだ。広大な敷地、先進的な設備。僕はワクワクしたが、同時に思ったほど緑のある環境ではないこともわかり若干の不安を抱いた。西洋の大学の講堂みたいな、すり鉢型の構造の部屋で学部の教授が概要を説明した後は、在学生が校内を案内していろいろと説明した。卒業後の進路については、まだ実績と言えるほどの実績はなかったから、就職例があった企業の中で有名なところをいくつか挙げるにとどまった。院については、やっと学生ができたばかりで院を修了した人というのがいなかったから研究テーマのうちユニークなものの紹介だけだったが、ぽつりと案内役の在学生が行った言葉が気になった。
「まぁ、僕は他大学の院志望なんですけどね……」
 僕はいくらかの試行錯誤の後、朝日さんがバスケットボールを行った体育館のある運動公園の警備員にバイトとして採用された。レジャープールがあることから夏の間は毎年増員するのだ。
 バイトはみんな僕とどっこいどっこいの年齢だ。みんな大学生。だから6月から入ったが僕以外はほとんどが土日祝だけの出勤から始めた。僕だけだ。いきなりフルタイム入ったなんていうやつは。
 普段警備員はゲート監視、園内巡視、夜間もやっているテニスコートと体育館の警備、そして宿直ぐらいのものだ。だけどなぜ増員されるかというとレジャープール目当てに車で来る人が夏場はどっと増えるからその車を駐車場や臨時駐車場に誘導するため。だけどこの年は記録的な冷夏で、何日かの例外を除けば夏の勤務は異常に楽だった。大変な思いをしたことが全くなかったわけじゃないんだが、その愚痴を話しても意味はないので省くことにする。
 学生バイトには、夏が終わっても土日祝勤務という形で残ったやつ、他のバイトを見つけて去って行ったやつ、いろいろいた。僕は夏が終わっても、正規警備員と実質同等な立場で残ることができた。時給換算で言うとそんなに高いわけじゃないんだが、何と言っても朝から夜まで仕事があるし、宿直に至っては寝てる時間にまで給料が出る。バイト探しで給料の高さに惹かれて行った引っ越し屋が社員からの暴力が当たり前で何かと理由をつけて給料から引かれるし22時間連続勤務なんてことを平気でやるブラック企業だった。夏が終わったら別のまともなバイトを探さなきゃと思ってた僕には警備員を続けられることはありがたかった。
 位置的には文化センターの奥だから、家との間に森があることはわかってもらえると思う。体育施設と隣接して、森の中に遊歩道を作って出入りできるようにした「冒険の森」と呼ばれるエリアもあったから、夏の間の宿直2名体制のころはやらなかったが、夏が終わってひとりになったら夜の時間はネリーと遊んだりもした。
 だけどこれは、後から考えれば楽しい思い出に終了のチャイムが鳴り始めていた時期だったと言っていいと思う。