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風間くんも言っていたけど、ああいう「ミステリーサークル」系のものから、邦楽部みたいに割と真面目な活動まで、当たり前にやるのが「新人歓迎コンパ」いわゆる「新歓コンパ」ってやつだ。
邦楽部では、ある日全体練習の後、近所の居酒屋で行われた。その2階の座敷がその会場だった。
なぜだかわからないが、僕はこの新歓コンパの前半のことはあまり覚えていないんだ。自分のパート以外の部員とは正式に顔を合わせるのは初めてになるし、自己紹介とかはしたはずなんだが、自分や他の新入生が何を言ったか、それも全然覚えてない。
僕は1浪してしかも6月生まれだから、大学入学後2ヶ月そこそこで成人してしまう。多分、新入生の中では僕が一番年上ってことになったんだろうと思うんだが、それでもまだ僕は19歳だったしね。僕以外の新入生はもっと年下だったってこと。特に尺八新人の女の子なんて、いいのか?帰ったらご両親に叱られたりはしないのか?
一応、他パートの中心になって部を運営しているような先輩には挨拶して回ったような記憶だけはぼんやりとある。尺八の女の子は内部進学ってことは18歳だったはずなんだ。だから僕はみんなが一杯機嫌になってきて新入生から注意がそれた隙を見てその娘に「もし飲みきれなかったら俺のグラスに注いじゃっていいよ」って言っておいた。だけどこの娘、ロリフリお嬢様にしては強くてさ。と言うか、僕と同じ三味線に入った男が弱すぎるんだよ。瓶ビールにして1本行ってないレベルで早くも寝落ちしかけてたよ。
女の子がお酒で潰れそうっていう事態になったら、守ってあげなくちゃっていう保護本能みたいなものが自分の中で発動するだろう?だけど男の弱いのはいじる対象でしかないよな。僕と尺八のバンドマン新人で、この潰れたやつをいじくり倒した。
「お前、寝るなよ、居酒屋で。俺たちのための会なんだぞ」
これが僕の台詞ね。尺八の新人もルーツはこのあたりじゃなかったから言葉遣いだけではふたりの区別がつきにくい。
「いいんじゃねぇの。弱えって印象づけておくことも必要かも知れないぜ」
「だけどさ。この会の費用だって新人受け入れのための会ってことで俺たちは払ってないからいわば先輩みんなからの奢りじゃんか。その会でこんなに早々に潰れるって、ちょっと失礼な気もするよ」
「まぁ、ビールはともかく、料理はもったいねぇかも知れねぇな」
「それもあるよね。だいたいそんなに弱いんなら事前に自分は弱いから乾杯だけいただきますがその後は冷茶で失礼します、ぐらいのこと言えなかったのか?」
「酒の席で出た料理を残ったら折に詰めてくれとも言いづれぇな。とりあえず、この刺身でも食えや。吐き気がねぇんだったら、適度に食った方が楽だぜ」
そう言って尺八バンドマンがわさび醤油をつけたハマチを、首だけを壁にもたせかけてることによって起こしてるが体は完全に畳の上に横たえたその男の口元に持って行った。そうしたらそいつは目も開いてないのに口だけパカッと開けてハマチをムニュムニュと食べた。
「なんかいま、面白くなかった?」
「けっこうな。自動人形っつーか……」
「ツバメの雛が、親に向かって一斉に口開ける姿」
「それだな。とりあえずいろいろ食わしてみようぜ」
「とりあえずご飯ものか。刺身じゃなくて寿司行こうよ。それでいいよ、その端のカッパ巻きで」
「醤油いるか?」
「塩分摂って喉渇いたらビールってやってたらこいつこのまま逝くよ。なしにしておこう」
「……結構なんでも食いやがるな」
「じゃあ、消化酵素だ。ジアスターゼ。その大根のツマ。それ一口分ぐらい取れるか?」
「醤油は」
「同じ理由で不要」
「わかった。……食うな、こいつ」
「何食ってるか自覚はあるんだろうか?」
「さぁな。それは本人にしかわからねぇけど、この状態じゃ訊くこともできねぇな」
「あと酔い覚ましって言ったら何があるだろう?」
「酒の締めと言やぁラーメンだけど……ねぇだろうな」
「あ、それで思い出した。糖分を摂ればいいって聞いたことがある。何かデザート系のものをこいつのために頼んでいいかどうか、先輩に許可取った上で頼もう」
僕とバンドマンで居酒屋のお品書きをのぞき込んだ。
「アイスクリームとか杏仁豆腐……割と一般的なものしかねぇな」
「いや、ひとつだけ異彩を放ってるのがある。これ」
「亀ゼリー?なんだこれ?お前知ってるのか?」
「知らないから、異彩を放ってるって言ってるんだよ」
バンドマンと僕で目を合わせて、ニッと笑った。
「すみません部長。こいつあまりにも弱いんで、アルコール分解のためにデザート食わせたいと思うんですが、頼んで構いませんか?」
遠くの方から部長の声が帰ってきた。
「いいよー!」
「お許しが出たぜ」
「すみませーん!店員さん、亀ゼリーひとつお願いします!」
僕がそう言うと座敷がちょっと騒然とした。
「なに、亀ゼリーって?美味しいの?」
例の琴の先輩が話しかけてきた。僕とバンドマンで答えた。
「いや、我々も知りません」
「俺たちも知らねぇんで、頼もうってことになったんです」
「ひどない?自分らも知らへんもん頼んで大丈夫なん?」
「こんな弱すぎる野郎の介抱してるんすから、それくらいの余興は許される範囲じゃねぇかと俺は思います」
「俺も思いますよ。間違っても、食べられないものは店も出さないと思いますし、美味しいものかどうか試す人柱ぐらいになってもらうぐらいは、バチあたりませんよ」
そうこうしている間に亀ゼリーがやって来た。見かけは、ダイスに切ってミルクに浮かべたコーヒーゼリーだ。
「思ったほどインパクトないね」
「サ店で出ても違和感ねぇな」
「まぁ、味だよ。とりあえず食わせてみよう」
「……食いやがるな」
「問題は、こいつに味がわかってるのかってところだよね」
「……おい、答えられたら答えろ。これ美味いか?」
「相変わらず、ムニャムニャ言ってるだけだな」
「一番面白くねぇ結果だな」
そういう話になりかけたんで、僕は亀ゼリーをひと口食べてみた。
「お前、こいつが使ったスプーンで食って平気とかすげぇな」
「俺、そういうのあんまり気にならないんだ」
「それで、味はどうなんだよ」
「美味しいデザートだよ。見かけどおりコーヒーゼリーっぽい」
「皆さん、お騒がせしました!亀ゼリーは割と食べられると判明しましたので、ご報告します!」
バンドマンがみんなに報告した。
「とりあえず糖分は与えたし……後は気付けか?」
「ちょっとピリッとしたものか」
「無難なところでそこに載ってるガリなんかどうだろう?一応刺激物だし、だけど甘酢に漬けてあるからほんのり甘くもあるし、大失敗にはならないんじゃないか」
「じゃあ……食いやがるんだよな、こいつ。しかも反応ねぇしよ」
「となると、もっとハッキリキッパリ気付けになるもの?」
バンドマンと僕は、刺身の盛られた皿に同時に目をやり、そして目を合わせた。刺身、大根のツマ、ガリ……他に与えるものは、ひとつしかない。
「行けぇ!」
バンドマンは握り寿司のシャリぐらいの大きさのわさびボールを潰れてるそいつの口に突っ込んだ。これはさすがに効いたらしく、咽せていた。僕とバンドマンは大ウケしてしまったのだが、亀ゼリーの話題のせいでみんなが結構こっちを見ていて、今年の新人男子のうちふたりはやることがエグいと評価が固まってしまった。
そんなこんなで終わった新歓コンパの後は、現地解散ということになった。2次会なんかは、僕が覚えている限りはなかった。
バスの関係で、この日みんなと別れた後は例の支線を持ってる私鉄で帰ることにした。この鉄道路線の市内部分は、川沿いをずっと走っている。その川には中州があり、市民の憩いの場であり、川の方へ向いて座っている限り、カップルがどんなにベッタリとくっついていてもはしたない行為とは見做されない場所として有名だ。
僕は、自分自身をクールダウンするためもあり、ひと駅分その中州を歩くことにした。なんか、いろんな思いが自分の中を通り過ぎていった。あまりにも酒に弱すぎるあいつをいじくり回している間は楽しかったが、なんかひとりになったら満たされない何かを意識せずにはいられなかった。
星を見上げた。そしてネリーにあのすぐ近くにまで連れて行ってもらったことを思い出した。僕にとってはほとんど嫌な思い出で塗りつぶされている中学2、3年生だけど、あの空中散歩だけは忘れられない。高校に入って以来、嫌なことはずっと減った。だけど、あの星空はまた僕から遠ざかって行ってしまったような気がする。
僕は中州に座ることにした。この中州に座ることはいわばカップルの特権みたいなもので、ここにひとりで座るというのは、可愛いキャラクターでおなじみでデートに最適なテーマパークにひとりで行くような寂しい行為だ。僕はその寂しい変人になることにした。冷たい視線を、むしろ浴びたかった。
そんなわけで僕が黄昏れていると、白い犬がやって来た。見たことないタイプの犬だけど、不思議な雑種だろうか。吠えることもなく、僕の方に向かってやって来た。
「どこから来たんだ?こんな夜に。逃げてきたんじゃないだろうな?」
僕はそう言って手を出すと、犬がその手をフンフンと嗅いでいるようにも見えたが、ちょっとおかしいなと思った。嗅いでいるんだったら犬は鼻息の音をさせるものだし、警戒していないのなら手を舐めても不思議はないはずだ。犬は僕の周りを忙しく動き、終いには僕の膝の上に乗っかった。こんなに人慣れしてる犬なのに、周囲に飼い主が見当たらないというのはどういうことだろうか?
薄暗いので周りの人からはよく見えないだろう。その暗闇の中で、犬は顔だけを変形させた。僕は大きな声を出しそうになったのを慌てて押さえて、小声で訊いた。
「ネリーか?お前」
例の仕草で2回頷いた。
「飛んできたんだろうけど……なんのために?」
犬の手のまま両手で僕の右手首を押さえつけた。そして何度も首を横に振った。僕には覚えがあった。
「ビールを飲もうとしていることに気がついて止めに来たとか?」
また2回頷いた。
「そうか……何か僕によくないことがあると思ってきたんだな?」
また同じように頷いた。
「うん……確かに、そうだったかも知れない。楽しかったけど、終わってみると後悔だけが残ってる。僕の生きる道がこれだとは思えないんだ、なんとなく。受験勉強して大学に入って、希望どおりではなかったけど、人からは頑張ったねって言ってもらえる結果なんだと思う。僕は大して頑張らなかったけど、それでもやっぱり言いたい。中学校の時に無理矢理塾に行かされたり、高校の時に問題が解けなかったという理由で数学の時間に罵声を浴びたり、いろんな嫌な目に遭ってきた。そんな嫌なことに耐えた結果のご褒美として与えられるのがこういう大学生活で、こういうのを充実したキャンパスライフというのであれば、僕は何か納得できない」
僕は息を大きく吸い込んで、深く深く溜息をついた。アルコール分が混じっているであろうその呼気とともに、バンドマンと悪ノリしてゲラゲラ笑ってた楽しい気分が抜けていくような気がした。
「とりあえず、今日は後は帰るだけだよ。そんなに大きなバッグは今日持ってないし、どうやってここまで来たのかわからないが同じ方法で帰っててくれ。僕もすぐあの部屋に戻るから」
そう言うとネリーはまた完全な犬の姿に戻り、橋の下の暗闇の方へ歩いて行った。
僕は切符を買って電車に乗った。揺られながら僕がいま一番感情も思考も共有できる相手に、少なくとも今日の馬鹿騒ぎについては否定的な思いを示されたことの意味をいろんな方向から考えた。
やっぱり、溜息しか出なかった。

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