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 我ながら、密度の薄い1年だった。僕の人生において最低とも言っていいぐらい、やったことは少ないんじゃないか。ネリーの森がもしかしたらなくなるかも知れないという危機感はやっぱりあったから、第1志望のあの大学に合格したいという気分は十分あったけど、気分だけだ。特に何を努力したというわけでもない。
 先にも言ったけど、僕は受験科目の見直しを行わなかった。だから受験できる大学も自然に限られてしまい、受験した大学も、あの恐怖の英語を出す大学を外した他はすべて同じ。後悔先に立たずだが、なんで見直さなかったのかねぇ。理由はいろいろ考えられるけど、ひとつ確かなことがある。僕は馬鹿だったってことだ。
 2回目の受験シーズンには、僕はとことん移動を避けて、気分的にもリラックスして望むことにした。去年の受験は、朝早く出なければいけないことを避けたい一心で、受験地になるべく近いところを目指して親の知り合いの家を渡り歩いた。完全に初対面の人なんかもいたりして、親切にはしてもらったけど、心が落ち着いていたかと言うとそうは言えない。だから、僕はこの受験シーズンは友達の家に迷惑にも長々泊めてもらって、すべての受験会場にそこから行くことにした。かなり遠いこともあったが、田舎と違って交通機関が発達している。本当に不便だというところはなかった。
 どの大学を受けた日だったろうか、とにかく何らかの試験は受けた日だったはずだ。僕は友達の家に帰った。食事を始めてまもなくだ。僕の家から電話が入った。内容は、唯一受けている地元の大学から合格通知が届いたということだった。両親は泣いていた。僕は大して嬉しくもなかったけど。
 僕は結局、1年間にわたって朝の新聞配達をしたら帰って二度寝、午後遅くに起き出してそれから本格的な活動に入るという生活を続けたせいだろうか、午前中はほとんど使い物にならない体質になっていて、第1第2志望の学部を受けるとき、午前中の英語科目を解き終わったら見直しもせずに眠ってしまうという惨状だった。同じタイムスケジュールで1日づつ使って行われるその2学部を受ければ試験は終わりだった。
 帰ったら両親が、やっぱり涙を流しながら僕を迎えた。そりゃ嬉しいだろう。自分たちが勧めた大学に受かったんだからな。だけど、それがどういう大学かはやっぱりまだ知らないだろ?僕にとって一番行きたくない大学のひとつなんだがな。
 第1第2志望の大学は、今年も補欠止まりだった。だから僕は、唯一受かった大学である地元の大学の入学手続きを取った。最終的に第1第2志望のどちらかに補欠繰上合格した場合、この大学に払った入学金は無駄になることになるが、それでも従うしかなかった。それが当時の当たり前の制度だった。
 そんな日々の中、僕は並木くんに連絡を取って会った。彼は1年間、予備校近くのガソリンスタンドでアルバイトをしながら受験を迎えていた。
 ガソリンのせいで手をガサガサに荒らした並木くんは、2月の寒風に吹かれながら小さなガソリンスタンドで声を出しながら走り回っていた。僕は彼のバイト上がりを待って、一緒に彼の知っている洋風居酒屋に出向いた。ふたりともこのときまだ19歳だったが、そこはまぁいいとしようよ。僕は新聞配達で、朝早い時間に集まって配り終わったらみんなそれぞれの用事で帰ってしまうからバイト関係の人とは本当にバイトの時間以外関わりはなかったけど、並木くんはそういう仕事だから夜のつきあいなんかもあったわけだ。僕らはふたりとも実年齢より年上に見られる風貌だったので、これと言って怪しまれもせず店に入った。このころはまだユルかったな。
 ふたりでビールのジョッキをカチンと言わせたあと、お互いに報告を始めた。
「で、どやったん?そっちは」
「ん~、まぁ、学校でも受けろと言われたあそこだけは受かったな。国際関係学部」
「あこの国関やったら、まぁ悪ないんと違うん?」
「まぁな。あの大学やったら、国関やと思てたしな」
 僕も下手なりにこの辺の方言を使うのが、高校の友達としゃべるときのお約束だ。
「えぇやん。自分頑張ったんちゃうん?語学教育も盛んやし留学制度も充実してるし、受け入れてもおるやろし、念願のブロンド彼女ゲットちゃうん?」
「頑張ったて、ないわ。国関て、去年めちゃ倍率高かったんよ。やから今年の受験生は敬遠しただけやと思うわ。去年と比べて自分が成長したとかまっっっっったく思わんしね」
「そんなもんなんかねぇ」
「そっちはどうなん?」
「まぁ、ひとことで言うとな……全・滅」
「えっ!?」
 僕を含めて4人、高校のときいつもつるんでいた中で、山本くんは数学、長谷くんは世界史、そして僕は英語、それぞれに得意科目があって、その中では並木くんにはこれという得点源がなかったのは確かだ。だけどいくらなんでも全滅するほどできないやつではないはずだ。日本有数の大学過密地域でもあるこの辺で、トップ4大学には、時の運だ、入れなくてもしょうがないが、その下、間違ってもさらにその下ぐらいには受からないとおかしい実力の持ち主だ。後の会話をどう続けていいか、僕にはわからなかった。
「そうか……それで、どうすんの?」
「もう1浪とか無理やしね、家のこと考えると……やから、バイト先で見たやろ、店長。話してな、俺来月からは正社員や」
「……」
「自分は学者になりたいっていう夢があるんやろ?やけど俺はどうでも大学出んとなれん職業とか目指してるわけでもないし、就職先はありました、めでたしめでたし、というところと違うかな」
「どっか心の中に、お母さんのこと考えて、大学なんか行ってええんかな、みたいな気持ちがあったとか?」
「そうやったとしたら、美談やねぇ。勉強手ぇ抜いたつもりはないけど、そういうことにしといたらええかもな」
「どこでもええということなら、こんだけ大学がある街やんか、2次募集とかまだあると思うけど?」
 並木くんはさして未練もなさそうに首を横に振った。
「実はな……俺、最終の滑り止めとして近所大学も受けといたんよ。やけどそこも滑ってたしな。あれ以下出てもしゃーないやんか?」
「そうか……でも、納得いくか?」
「いくもいかんも、これが現実やしね。実はな、あのスタンド、店長はいるけど雇われ店長でな。結構このあたりで店舗持ってる会社の系列なんよ。会社として整備士の教育制度とかも充実してるし、資格取らしてくれるはずやねん。大学行って何したかったかって言うと俺、車関係のバイトして勉強して資格取りたいとしか考えてなかったしな。大学で何としても学びたいことがあったわけやなし、要は車関係の勉強が大学生やりながらアルバイトとして勉強するか、就職して仕事の一環としてやるかの違いだけで、給料もらいながらやれる分、こっちの方がお得やとも言えると思うで」
「まぁ、そこまで割り切れてるんやったら、こっちとしてはなんにも言うことないな」
「俺、車の免許ももう取ったしね」
 並木くんはケースに入った免許を見せてくれ、そして続けた。
「知ってると思うけど、近所に教習所があるんよ。車の免許ってことで取ったらバイトの時給もちょっと上がったしね。えろうお得に取れたで。来月正社員になったら早速ローン組んでマイカー持つつもりや。それ思ったら楽しみやわ」
 それから後は、しばらくとりとめのない話をして終わったように思う。内容は良く覚えていない。
「ガソリン入れる用があったら、また寄らしてもらうわ。こっちは当面原付以上の予定はないけどな」
「何をおっしゃる。それでもれっきとしたお得意様です。それよりも、出席カードの貸しは忘れんなよ。国関でブロンド彼女できたら、まずは俺に教えてくれ」
「国関に行くなら、な。補欠から繰り上げ合格になって、このあたりから去る予定やから絶対と約束はでけんで」
「へいへい、お祈り申し上げます」
 そんなやりとりをした後、僕らはそれぞれに帰路についた。並木くんみたいな、あんないいやつに「高卒」とレッテルをつけてしまう、そんなイベント「1浪後の受験」はこうして終わった。
 僕にとっても最終的に終わったのはそのしばらく後だ。毎日電話で「補欠何名を繰上合格としました」というのをチェックしていたが僕が繰り上がることはなく、国関への入学が決まった。
 また、親元を離れるチャンスを逃した。