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大学受験に向けて、クラスメイトの言うこともだんだん具体的になってくる。若さから来る無知、そこから来る蛮勇というやつなんだろうが、みんな随分高望みに志望校を挙げていた。中学のときに行かされたあの塾の陰湿な塾長が(僕は何度でも言うよ)語っていたことで僕の頭の中に残っている数少ない発言なのだが、この近所には「二流大学」がない。間違いなく一流である「西の横綱」の次は、全国的に見れば三流になってしまうのだそうだ。だから「西の横綱」には入れないけど三流まで落ちたくないなら遠隔地で下宿しながら大学を出るしかないと。疑問はあるが、私学に限って言えばこの近所の大学は東京にあるトップ私大より若干魅力に欠けることは、私情を排除しても確かだ。
だけど僕は思う。団塊ジュニア世代で大学受験人口が異常に多かったこの時期だからこそ、日本中の大学、高校、そして予備校などの教育産業がスラップスティック状態だった。いい大学→いい企業→いい人生だと誰もが思っていてその座を巡っての椅子取りゲームだった。でもこれは教育産業が咲かせた最後の仇花だ。
どこの大学を出たか──つまり、どこの学閥に属するか──なんてことが一生を左右するぐらい意味を持ったのはこの時代までだろう。官僚の世界などごく一部を除けば。看板だけしかない「お勉強良い子」を終生大事に育てるほどいまの企業は悠長ではない。要らない従業員の「辞めさせ方指南」なんていうのが商売になる時代だ。
だから僕の後輩たちには中卒時、高卒時、そして大卒時などなど、人生の折り目節目には「次にどこに足を置くか」だけではなく「最終的にどこに行きたいのか」をハッキリ見据えて欲しい。中学のあと高校に、高校のあと大学に進学するのが実際に最善手なのかどうかわからない。いずれ社会人としてどうやって生きていくかを考えながら生きることが重要だ。僕らみたいに「どこどこ大学でさえあれば何学部でもいい」なんて考え方は持っちゃいけない。
そもそも、文系学部のほとんどは卒業したから何者になれるのかよくわからないのがいけないのだろう。社会学部というのは具体的にどういう勉強をするのか知っているか?経済学部と経営学部の違いを言えるか?文系学部というのは「結局何をするところなのか」が明らかでないという欠点があると思う。だから志望者の頭の中には学部の名前より学校の名前の方がはるかに大きいウェイトを占めている。増して学際学部なんて、卒業証書発行枚数を水増しするために作ったと言われても仕方がないだろう。僕自身そのころはスラップスティック的熱狂の中で「学際学部最高!」を叫んでいたのだから大きな口は叩けないが、冷静になってみればそういうことだ。
僕のクラスメイトの文系人間集団もひたすら「大学の名前」で野望を語り合っていたわけだが、理系の人間はやっぱり「やりたいこと」がハッキリしていると思う。
僕にとって、いまでも一番身近な理系人間と言えば山本くんだ。彼は志望大学のことについて僕らと語り合うことはほとんどなかったけど彼の心中にはハッキリと「なりたい職業」という具体的なものがあった。薬剤師だ。薬剤師試験の受験資格が得られるなら有名大学だろうが無名大学だろうが彼にとって問題ではなかった。彼はいま僕が当時を振り返るのと同じ気分で、大学の名前でハッタリかまし合う僕ら文系人間を冷ややかに見ていたのではないだろうか。
僕らにとって名門大学の名前で盛り上がるのと同じくらい楽しかったのは、レベルの低い大学の名前を「ネタ」として出すことにより「自分は少なくともそこよりは上」を確認することだった。並木くんは各予備校が発表する「圏内大学偏差値ランキング一覧」でも下から10位以内常連の大学の近くに住んでいた。彼は「近所大学、略して近大」と冗談を言っていた。
ここは「西の横綱」大学があるからということもあるのだろうが、他にめぼしい産業と言えば観光ぐらいしかないこともあるかもしれない。とにかく、教育産業が盛んだ。アルバイト情報誌を見たら、飲食系と観光地の門前商店街系のものと、あとは教育産業で9割ぐらいは占めそうだ。大学もやたらにたくさんあり、バス停の3割ぐらいは「どこどこ大学前」になると思う。市内ではあるがとんでもなく辺鄙なところにあるため、バスの終着地がその大学であるという、つまりそのバス路線の存在意義が大学へのアクセスという路線も数多い。うちの親も学校も受験推奨の大学もそのひとつだ。
大学の入試を考えて、高い競争率に思いを致すのは重圧ではあるが、一方で大学から資料を取り寄せて将来の楽しいキャンパスライフを思い描くのは楽しいことでもある。僕は自宅で大学パンフを机に並べて、ネリーを相手に大学生活の夢を語っていた。このころ僕は学問にジャンルを設けていることの意味がわからなかった。まさに、学際学部という言葉に踊らされるために生まれたような人間だったと言っていい。
「……というようなわけで、新しい学部ができたんだ。これを考えた人は、本当に学問のことを考えていると思う。ジャンルという枠にこだわって、新しい地平が開けるわけはないと僕は思うんだ。まるで僕のために作られたように感じるよ」
ネリーはどこまでわかっているのか、机の上に四つん這いになってパンフをのぞき込みながら、じっと僕の話に耳を傾けているように見えた。僕は次に、時刻表の路線図を広げて見せた。
「ここにほら。輪になってる路線があるだろ。このまわりあたりが、日本では一番の都会だ。ネリーには絶対に住めないところだな。もう鉄筋コンクリートばっかりで夏なんか死ぬほど暑いしね。ネリーなら溶けても不思議はないなあ」
そう言うとネリーは顔をこちらに向けていかにも嫌そうにゆっくりと首を横に振った。
「と、いうわけで僕の行く大学なんだが、その輪の中のこの駅からこっちへ伸びているこの路線に乗って……ここまで離れたところだ。噂にではこの駅からもかなり離れて、なんかすごく長い時間バスに乗って街中から離れるらしい。多分、そのへんに結構森とか、森まで行かなくても木立みたいなものとかある環境じゃないかなと思う。なんとかネリーと一緒に住んでいけるんじゃないか。多分、あまり発展してない分アパートの家賃も安いだろうしね」
ネリーは今度は頷いてくれた。
いまだにネリーとはどういう生き物なのかということがわからない以上考えても意味のないことではあるんだが、ネリーの教育はどうなっているんだろう?僕の話すことを理解していると思う。となると、何らかの教育制度を持った生き物なんじゃないか?いや、そもそも生き物なのかどうか問題がまだ片付いてないんだけどさ。
でもやっぱり、僕はやっぱりそういう疑問は無意識の下に押し込んでしまっていた。漠然とだけど、それを知るときがネリーとのお別れの時みたいな気がしてたんだ。

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