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なんだかんだで、高校生としての時は過ぎていく。僕は相変わらず、少なくとも英語に関してだけはクラスの中でもトップを独走していた。定期的にやってくる予備校による模擬テストでも、英語の比重が高い大学を中心に高い合格可能性を叩き出し続けていた。
クラスの連中なんかも僕に英語の検定を受けてみろと勧めてきた。このころはまだ大メジャーな英検を除けば、検定試験っぽいものはTOEFLと国連英検ぐらいしかなかったと思う。僕はこれらの試験のことをよく知らない。でもガチで海外に出たい人のための試験というイメージはあった。だから当時の僕は無難に英検2級を受けたわけだ。
2級は難しいものだと、僕は聞いていた。誰から聞いていたかと言うと、例の制服をお世話になった伯父さんの妻である伯母さんだ。自分の娘が順調に3級までは取ったが、2級は落ちたんだそうだ。そのせいもあり「2級から急に難しなるえ」と言っていたから僕も注意して受験したが、別に何てことなく合格した。
こんなわけだから、僕はやっぱり入試には真ん中にデーンと英語を据えている大学ばかり狙うことにしていた。前にも話したけど、日本のトップ私大が新しい学部を創って、英語か数学の1科目選択と小論文という試験をやっていたからその学部、2つあるが片方が第1志望でもうひとつが第2志望。ただ、英語と小論文だけだと受験できる範囲は極めて限られてしまう。いわゆる「お勉強の試験」ではない不思議なテストを課している大学がある。まるで知能テストのような問題だ。そんなもので受験生の間に大きな差がつくとも思えないので、実質は英語の成績だけになるだろう。模擬テストではその大学は「英語しか課していない」扱いだった。英語だけで判断しなければしょうがない理屈だ。他は、英語と小論文に限れば極端に大学のレベルが下がってしまう。だから僕は直前になったら政治経済を詰め込むことにして、英語・小論文・政治経済で受けられるところも志望校に加えた。2校だけだけど。この2校には入りたくなかった。1校は皇族の学校のイメージがあり、ミーハー的な関心だけで受験する人がいるから。もう1校は、地元の大学だから。
入りたいとか入りたくないとかそういうこと以前に、僕はもう第1第2志望のどちらかには入れるに違いないという確信でものを考えていた。それもしかたがないことだと思いたい。英語と小論文だけで受けられる大学の志望者として受けた模擬試験では常に合格可能性は80%をキープしていたし、大学別の過去問集で過去問にあたる限り東大の入試問題だって、英語に限っては難しいと思わなかった。第1第2志望の学部は過去問の蓄積はあまりないんだが、その問題もさして難しいと思わなかったし、論文のテストで「以下の資料を読み、考えるところを記述しなさい」の「以下の資料」のうちに英語で書かれた百科事典からの引用が長々あるのも通例だったが、それも手のつけようがないくらい難しいとは思わなかった。英語だけに関して言えば訓練になる問題がもうない状態、紙の上の英語に限れば敵なしの状態だったんだ。
難関校では「時事英語」を入試で出す学校も珍しくない。僕はこれには2段階の準備をすることにした。ひとつは、アメリカでメジャーな雑誌の割と最近の記事から特徴的な単語や熟語、表現などをピックアップして解説しているビジネス向きの解説書。そしてもうひとつの対策とは、ズバリ現在進行形で報道されているニュースの載った雑誌を購入して読むこと。週刊誌だけど英語しか載ってないので毎号買っていたら読み終わる前に次が来てしまう。だから月に1回ぐらいに購入回数は抑えたけど。懐具合的にもね。
こんな具合だから、僕は毎日欠かさないようにできるだけ「現在流通している英語」に触れることを心がけながらも、ガリガリと勉強するようなことはしなかった。実は僕のせいでクラス2位というのが定位置になっている岡島くんというやつがいて、英語で僕を上回る誰かが出るとすればそれはそいつだろうというのがクラスの中で言われていた。この彼は僕とは全く逆の方法論だ。とにかく単語や熟語や文法や発音記号をよく知っていた。たとえば、こんな問題があると考えて欲しい。
・以下の日本文の意味になるように、下の英文の( )の部分に単語を書きなさい。
その飛行機はその空港に到着した。
The airplane ( )the airport.
彼の名誉のために言っておきたいが、実際にはこんな単純な文章ではなかった。ただ、僕が間違えたこの問題にものの見事に彼は正解した。その核心部分だけ抜き出したのがこの文章ということだ。それでこの問題なんだけど「到着する=arrive at」と記憶している高校生は多いんじゃないだろうか。だけどこの問題を見て欲しい。かっこはひとつだけしかない。クラスのほとんどは、このかっこに「arrived」と書いて不正解だった。彼は正解していて、その正答とは「reached」だ。彼はここで「arrived」ではダメな理由を説明してくれた。「arrive」は自動詞なのだ。だから「どこどこに」という場所を示すときには前置詞が不可欠になる。一方「reach」は他動詞なので前置詞なしで目的地を伴わなければいけないタイプの動詞だ。彼がこれを教えてくれたことにより、僕は英語における5文型というのを改めて確認したのだった。
思い出してみれば、中学の時行かされていた塾で、独特の怪体な言葉で、あの陰湿な塾長がこのことを説明していた気がする。だけどあの時僕はその塾長をはじめとする周囲の人間の嘲笑の言葉と視線に耐えることで精一杯で、塾長が教えていたらしいこのことを理解する余裕なんかとてもなかった。やっぱり、勉強を教えるのには最悪の教え方をする講師だったな、あれは。
努力家の岡島くんが惜しげもなく教えてくれた自動詞と他動詞の違いから、僕はあっという間に5文型の意味と文章を読むにあたってのその重要性までたどり着いた。それまでの僕と言えば単語のなんとなくの意味に頼って英語のテストの中でも特に配点の大きい長文読解問題でほぼパーフェクトを出すという点の取り方だった。逆に言うと配点の小さい語彙問題や文法問題は捨ててた。だけど、岡島くんが教えてくれた「自動詞と他動詞」というところから僕は文法というものにもある程度「開眼」してさらに隙がなくなった。このことで、学校の授業でも特に英作文の点数がやたらに伸びた。
実は、このころ僕は市販教本でロシア語とブルガリア語に挑んでいた。特段変なことをしているという意識もなく、むしろ若干の優越感を持って、大学入試には関係ないそういう勉強をしていた。
僕が第1、第2志望にしているふたつの学部に魅力を感じた理由のひとつは、国際交流に積極的であって履修する外国語の選択肢が多いところだ。学びたい言語を思い切りやれるだろう。
僕はその学部があるあたりの地図を広げて照らし合わせながら、そのあたりの賃貸住宅の情報が載っている雑誌を売っている店を探し当てて買ってきて、現実問題としてどのクラスのところまでになら住めるだろう、そんなことも調べはじめていた。
そんなとき、父から風呂に誘われた。塾に行けと言われたときのことを思い出し、僕は嫌な予感がしたが断る理由がなかったので一緒に入った。話し始めたのは僕に合ってる大学の話だ。僕が第1、第2志望にしている大学は昔からお坊ちゃま大学で僕にはあまり合わないんじゃないかというのが父の考えだというのだ。父は地元の大学を勧めてきた。実を言うと「政治経済で受験できる」という理由で志望校に加えた、できれば行きたくない大学だ。そっちは昔からバンカラな校風で僕に合うのじゃないかとこのとき父は言った。また例によって裏で母に空気を入れられているのだろう。絶対、お坊ちゃま校だバンカラだなんてのは後付けの理由でしかない。間違いなく理由はカネだ。
だが、高校としても「この県に住んでいて、第1志望かそうでないかは別にしてこの大学を受けないというのはあり得ない」という方針だったし、できれば行きたくないということは別にして「受験しない」という方向に持って行くことはやっぱり無理そうだった。

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