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例の裁判の件だ。
いままでうちは貧乏だと言い続けてきたが、実はその貧乏の具体的内容はずっと後になって知ったことだ。このころは、ご飯が異常に貧相だったり、服を買ってもらえなかったり、そういうことから肌で感じてはいたが、具体的に理由とその後の方針について説明を受けたことは一度もない。
父が自分の経済的苦境を語ろうとしないことは以前にも話したが、これこれこうだからいま経済が苦しい、という話を一切しなかったのは母も同じだ。もしかして、そういう心配をさせないことが親としての愛情とか思ってるんじゃないだろうな?経済的に苦しいという実態を子供に話したくないなら、とことん「うちは貧乏じゃない」を演じろよ。闇金に土下座してでも息子の僕が他のクラスメイトと同じくらいのものを身につけるぐらいのカネは用意しろよ。なんだったら目玉とか腎臓とか売れよ。僕はそう思う。
なぜ経済が苦しいのか、どのくらい苦しいのか、それを話さないというのは、要するに自分たちの非を認めたくないんだろ?自分たちがこういう失敗をしました。だからこれで我慢して下さい。自分がお金を用意して渡さなきゃいけない相手に対して十分なお金を用意できなかった場合、事情を説明して謝るのがまず社会人としてするべきことじゃないのか?だけど僕の両親は財布の中身を僕に説明したことがない。それでいて貧乏暮らしに対して僕が不平を言うとキレるのだ。常にカネのことで頭がいっぱいでイライラしていて、唯一自分たちに逆らえない存在である僕をサンドバッグよろしく叩きまくって憂さ晴らしをしていた、僕はそう評価している。
で、裁判のことだ。やっぱり語りたがらないが、どうやら終わったらしい。金ラメ刺繍のスーツの男たちは、専任の顧問弁護士を持っていた。どう考えたって、こういうことを商売にしている連中としか言えないよな。
父は怒りまくっていて、全額取り返すと息巻いていたのはもう話した。それで、多分それは不可能だと僕は思っているのも話した。それでも、父はもうちょっと交渉しようというのを言い続けたらしい。しかし、母が止めたのだ。うちの親戚には女の子が少ないのだが、僕の従姉妹は4人いる。ひとりはそのころなりたてほやほやの幼稚園の先生で、ひとりは短大生。あとのふたりは小学生以下だったけど、まぁいい年ごろの女の子がふたりいるということで、あんな連中を相手にゴタゴタを長引かせたら万が一この子たちに何かあったら困る、と母が主張したことで、父も折れる気になった。本当に、僕の父は母の言いなりだ。そうなったら俺が人生をかけて償うから戦わせてくれ、ぐらいのことは言えないのだろうか。言えないのだろうな。そもそも、自分に何のポリシーもなかったことが裁判なんかやらなきゃいけない事態に陥った遠因なんだから。
だから、後々に僕が調べた結果の話だけど、取り返せた額はせいぜい数百万。どう見積もってもそれ以上にはならない。全体の何割を取り返したのかはわからないが。
いまの家を買うのにかかったお金から前の家を売って得たお金を引いた額がだいたいローンの額ということになるだろう。前の家だってローンは残ってただろうから、あれを売って得たお金というのは大した額ではないはずだ。それで、何とかこの裁判で「お願いして恵んでいただいた」お金はローンの一括返済に回したらしい。住宅ローン事情なんかには詳しくはないが、いずれにせよ毎月の負担が減ったことにはなったっぽい。毎月の返済を変えずに年数を短くする余裕なんて絶対なかっただろうからな。
僕がだいぶ後に詐欺漫画に熱中することはもう話した。詐欺漫画というのは、同時に金融漫画でもある。土地は値崩れしないという根拠のない思い込みで異常に膨らんでいたこのころの経済の話も、実はこの漫画には頻繁に出てくる。家を買うということは、普通は土地を買うこととセットだろう。そして土地を買う人間には、どうしても滞ったらその土地を取り上げれば得をすることはあっても損をすることはないから、少々収入が怪しいやつにも貸してしまえ、という雰囲気が、このころの銀行にはあったんだそうだ。
そして、僕の父みたいな人間が住宅ローンなんて組めたのもそういう雰囲気が社会全体にあったからだろう。引っ越した時点で、父はもう50歳を超えていた。それまでしていた仕事が特に技能も知識も必要としない仕事。それでいて転職したばっかりで、銀行に言えることがあるとすれば「今後はこれだけの給料が入るはずです」ということだけだ。こんな低レベルな債権を作ったら、いまの銀行員だったら人事評価ダダ下がりじゃないか?
またその漫画の話になるが、別に家を買うための借金に限らず、子供や孫のため、そういうつもりで出資したお金が、後に経済が下降し始めたときに出資者には負債となって返ってきた。そういう人の中には、子供や孫に借金を残すまいと自分の『命』で支払った人もかなりいるらしい。痛ましい話ではある。だが、そういう人たちは責任感がある人だとも思う。少なくとも、無理して借金して貧乏暮らしをして、ストレスがたまったら息子を罵倒して解消しているどこぞの夫婦よりよっぽどマシだ。
そういうわけで、僕の両親「だけ」の悩みの種がひとつ片付いてからしばらく。ある日突然、うちと苗字は同じだが全く知らない人から連絡があった。父の実父も養父も名士だったという話は既にしたはずだ。その兄弟姉妹がたくさんいるということも。ということからわかる人もいるかも知れないが、うちは昔々はかなりの名家だったのだ。このとき連絡をしてきて、結局うちに来たその人は、そういうわけでうちの遠い親戚に当たる。用件はと言うと、はるか昔の先祖が持っていた土地が移転登記されず、現在膨大な数の人の共有地ということになっている。現状では土地を使えないので、相続放棄の署名と印鑑を集めて回っているという内容だった。
このとき、その人はうちの家系図を見せてくれた。何が本家だ。僕の祖父の名前は、ごくごく端っこの方にかろうじて名前が載っている、傍系も傍系だったよ。本家と思い込んで継がなきゃと躍起になって、策略を巡らせて他人を騙してまで養子にして引っ越しまでさせて、挙句の果てには自分の方から家を離れた僕の「元」祖母もかなりの馬鹿、調べもせずに言いなりになっていた僕の親ふたりはもっと馬鹿。結局は、楽しかったはずの10代を根こそぎ持って行かれた僕だけが割を食ったわけだ。
冷静になって整理することにする。うちが引っ越した理由は以下のとおりだ。
1・本家である祖父母に実子がいないから跡継ぎが必要
2・父の以前の収入では家計が立ちゆかなかったから西日本営業所長として父が転職
3・将来僕の両親が相続することになる家兼店を守る意味も込めて母が店を手伝い手当をもらう
そして実態は。
1・本家なんて言えない傍系の傍系だったし、老いていく親の面倒を子が見るという親子らしい関係の実態もほとんどなかった
2・営業所長として働けたのはわずか数ヶ月で、その後実質解雇
3・母が手当をもらう話は端っからなかったことにされ、祖母の惚けと両親の無策につけ込まれて結局相続はなかったことに
なんだ。引っ越す必要なんて、最初からなかったんじゃないか。
だが、僕の両親はこのころしきりに「よかったなあ」「よかったねえ」と頷き合っていた。裁判である程度まとまったお金が入ったことにより、住宅ローンがだいぶ楽になったことだそうだ。
母は、他人との関係で嫌なことがあったとしても「嫌なやつはどこにでもいよる」から我慢しろ主義者なのは前にも話したと思う。物事どんなことにもいい面と悪い面があるんだから、悪い面を見て嫌な気分で過ごすより、いい面を見て心穏やかに過ごした方がいい主義者なんだろう。で、父にはポリシーがないから「よかったなあ」には「よかったねえ」と返すことしか知らない。
だがそういう主義は、できれば別の側面で使ってほしいものだ。たとえば子供の教育とかに。嫌なことがあったとして、どうしてそういうことが起こったのか、今後同様のことが起こらないために自分は何をすべきか、そういうことを考えない人間に成長はない。
自分が10得るはずだったはずのものが他人の策略によって奪われた。奪われてから慌てて駆けずり回って、嫌な思いも散々してようやく1だけ取り返した。ここで「1得られてよかったねえ」と喜んでいるのが僕の両親だということだ。
「この家は、いずれあんたのもんやで」
恩着せがましく母は時々そう言う。僕がいつ家をくれと言った?家は要らないから、前にも言ったけど楽しかったはずの僕の中学校生活と、それに引き続いて充実していたはずの僕の高校生活をいまここで耳を揃えて返してくれ。こんなもん、楽しかったはずの僕の10代を埋めてその上に建てた墓じゃないか。
日曜日になるとしばしば「よかったなあ」「よかったねえ」と、負け犬同士の慰め合いを見せられるのに辟易して僕はしばしばネリーを連れて例の森に行き、眼下に広がる景色を見ながらいろんなことを考えた。僕にとって、引っ越してよかったことをどうしても挙げろと言われたら、本当にこのネリーと出会えたことぐらいだろう。このネリーがどういう生き物なのかは相変わらずわからないけど、こっちでできた最高の友達であることだけは間違いない。
だけど、それでも僕はいずれこの街を去って昔住んでいたあの辺りに帰りたいと思っていることは確かだった。その絶好の機会になるのが、多分大学への進学の時だろう。でもそうなると、あんまり大都会の真ん中にあるような大学へは行けないな。だって、ネリーの息の抜き場がなくなるから。でも最近は、郊外に広い土地を買ってキャンパスを移転するのが有名大学の間でブームになっているから、逆に都会のど真ん中なんかに住むことはあんまりないのかな。
森の中を蛍がふわふわ舞っていた。蛍って、昼でも光るんだな。まぶしいという光ではないけれど、どこか神秘的な光なのでその分目立つ。ネリーも一緒になってふわふわ舞いながら、やっぱり家に閉じこもっているときより楽しそうに見えた。このネリーを、鉄筋コンクリートばかりある中に連れて行くのはやっぱりかわいそうだよな。引っ越す前のあの辺りで、適度に都会で適度に田舎って言ったらどの辺になるんだろう。遊んでいる蛍とネリーに何か癒やされた気分になりながら、僕は進学をぼんやり考えはじめた。
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