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 くどいようだが、このころは空前の好景気だった。あぶく銭をつかんだやつが山ほどいて、大して働きもせずに豪遊していられた時代だった。カネを持った男が何をするかというと、結局女を買いに走る。そして、女は積極的に売りたがる。この時代、その取引の場所になるのがディスコだった。
 VIP席と呼ばれるちょっと高いところで、豪華なソファにゆうゆうと座り、高い酒を飲みながら、ダンスホールにいる女たちを物色する。そして気に入ったのを「黒服」と呼ばれる従業員に告げたら、その黒服がその女を連れてくる。要はカネのやりとりで性のやりとりが行われる。女は玄人じゃない。だが、とにかくVIP席の成金にアピールすれば大金ゲットなのだから「お立ち台」と呼ばれる場所で自主的にストリップをやる女がごろごろいた。
 僕は高校生だったから、そんなところに行ったことがあるわけじゃない。だかディスコでそういうことが行われているということは連日各種マスコミを賑わせていた。そして、言い切ってもいいがこういうディスコブームの中で、最大のスターはナイトメアズ・イン・ワックスだった。確かにティムはダンスミュージック指向のミュージシャンだったし、彼らのやっている音楽ジャンルは俗に「ハイエナジー」と呼ばれるぐらいだしとにかくパワーがある。そして、ティムほどの迫力のあるボーカリストは、ハイエナジーバンドの中でも他にいないだろう。
 ティムは性的に極めて奔放な人だけど、その一方で自分の性的アイデンティティにすごく悩んでいるというのは「踊れればいい」ではなくティモシー・ジョゼッピ・オニールという人間そのものに惚れ込んでいる人間ならば誰でも気がついたはずだ。それこそが彼の危うい魅力の源泉のひとつだったと思う。だから、あぶく銭で公然と行われている、ハッキリ言えば売買春に不可欠な舞台装置としてしかナイトメアズ・イン・ワックスの音楽を必要としてないような半端ファンに僕は腹が立った。だけどこういう僕の物言いも、ファンを拗らせて「マニア」になってしまう一部の奇矯な人間の物言いとしてしか受け取ってもらえないことも、僕にはわかってた。
 子供のころを、活動性の低いおとなしい子として過ごした反動だろうか、僕はこのころから以降、いろんなものに夢中になる。そしてたいていの場合、あっという間に一般人はついて行こうと思うことすらない細かいことまで頭に詰め込み、あるいは手に覚えさせて満足するタイプの人間になる。あいつは、何やっても行くところまで行くやつだからなあ、そういう評価を得たことが何回あっただろうか。そしてそのたびに、僕は満足感とちょっとした優越感を覚えるのだ。そのスタート地点には、ティムという美しくていかがわしい男がいる。僕はずっと感謝している。
 まぁそんな感想はずっとずっと後になって持つことになるものだけど、批判的なやつに言わせたら「CD買うほどの音楽か?」「だいたいケバすぎるしな」ってなことになるナイトメアズ・イン・ワックスでありティムであったが、そういう世間には批判的な声も多い人物の「ファン」ではなく「マニア」であることに、僕は不安感や孤独感ではなく満足感と優越感を覚えるタイプの人間なのだ。
 世間的にはナイトメアズ・イン・ワックスの音楽はイベント系のBGMとしてはますます人気が高まっていた。バンドの方向性が決まったアルバムを1作目と考えると多くの人にとって「3枚目」であろうアルバムを出したときにはその人気はとんでもない頂点に達して、僕の高校の学園祭で出し物として「ディスコ」をやったクラスではひたすらこのアルバムをリピートしたぐらいだ。
 リミックスアルバムを出したときは東京と大阪でライブをやったが、そのときの日本のファンをずいぶん気に入ったのだろうか、ティムはちょくちょく日本に来るようになっていた。小さい会場でも気楽にライブをやっていたようだ。大ホールのチケットをあっという間にソールド・アウトに出来てしまう人が小ホールでやるということは「本人の娯楽」という側面が多分になければおそらくないことだろうと思う。そういうライブ情報が流れる度に、僕は行きたくてしょうがなかったが、小遣いではとうてい足りなかった。
 だから僕が動いているティムを見ることができるのは、やっぱりテレビだけだった。もちろんさすがにライブ生中継とかはなかったが、深夜番組で洋楽のビデオクリップをただ流すという番組があった。その内容は事前に電話の自動案内で知ることが出来た。だから僕は毎週チェックして、流れるときはビデオに録画した。
 ティムが僕にくれた財産のうち、僕が一番ありがたいと思っているのは、夢中になったものに食らいつく力、言ってみれば「夢中力」だ。筒香さんに出会ったのが、ティムのパフォーマンスを見るより前だったら、僕は読書魔になっていなかったんではないか。
 そういう音楽番組があったため、ビデオクリップの中で「演じている」ティムを時々は見ることができるようになった。何本かのビデオクリップでは、和傘にしか見えないものを使用したり、舞台装置に日本風の格子戸があったりした。やっぱり日本のことをかなり気に入っているんだな。
 僕が日本人であることも、もしかしたらヨーロッパ人と仲良くなる上で武器になるかも知れない。大いに勘違いされている節もあるが、日本の仏教、特にゼン・ブッディズムに関しては欧米人の関心は本当に高いと聞く。公立じゃなくて、宗教の時間というのが存在する仏教系の高校に入ったことは、思いもよらない拾いものをしたんではないか、僕はこのころからなんかそんな気がしていた。
 宗教の時間に使う「宗教のしおり」という冊子がある。これは、希望者には無料で配布していた。僕はそれを1冊もらって帰り、自室で読んだりしていた。もちろんネリーと一緒に。そして語り合った。キリスト教でも敬虔な信徒は食事の前に長々とお祈りをするらしいが、日本にもほぼ同じ文化がこうやってあるんだな。そして、その精神の核心としての「いただきます」という言葉の的確さ。
 ほとんどの日本人が明確に「自分はこれの信徒です」という意味では宗教を持たないのに対して、キリスト教のバックボーンを持ってこそ当たり前の人間という発想の欧米人には「なぜ宗教を持たない日本人なのにあれほど規律正しく生活出来るのか?」というのは一種の謎らしい。僕が欧米人と仲良くなる日が来たら、多分この質問は受けるだろう。僕はこの高校でぼんやりだが答えを見つけた。
「と、思うんだけど、どうだろう?」
 そう訊いたら、ネリーはいつもの仕草で2回頷いてくれた。
「結局さ、僕はどこへ行っても日本人だから、相手は僕を日本人として扱うよね。日本人ってこうなのか、ああなのかって、いろいろ質問してくれる人が、つまり僕と仲良くしてくれようとしている人だと思うんだ。そうなるとやっぱり、説明出来なきゃね」
 やっぱり頷いてくれるネリーではあるんだが、こうやって一緒に過ごしていてもネリーの何たるかはほとんど知らない自分自身に対して違和感があることも事実だった。