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何だか、僕の住んでる県全体が、騒然としているように思えた。
誰もが話題にしていたその人の名前は、いつかも聞いた「朝日勇太郎」だった。一部の人たちには長い間待ちわびられていた救世主らしい。このころの好景気で、マイナースポーツからメジャープロスポーツに脱皮した競技がサッカーだ。世界では一番競技人口が多いスポーツではあるが、日本では変わり者が見るスポーツだった。
日本では、プロスポーツの中では野球だけが「不当に」と言ってもいいレベルで地位が高い。ゴールデンタイムに生中継されるスポーツと言えば野球だけ。スポーツニュース、と名をつけられている情報番組も、やるのはひたすら野球・野球・野球……。そこにサッカーが割って入った。
だからサッカーがメジャースポーツにテイクオフしたこのころ、様々なマイナースポーツがサッカーに続けとプロスポーツとしての飛躍を模索していたらしい。だけど、スポーツの中には「アマチュア精神こそがこの競技の真髄」という競技もあった。それが顕著だった競技のひとつがバスケットボールだそうだ。アメリカではアメフトや野球と並ぶ超メジャースポーツだ。だが、日本人は身長に恵まれないため世界との距離がありすぎるせいもあり「見る」スポーツとしてはほとんど誰も振り向かない状態だった。体育でやったことはある、ぐらいの認識の人が大半だっただろう。
新体操情報を得るために買っていたあのアマチュアスポーツ専門誌は、別に新体操限定ではない。アマチュアスポーツ誌だから、アマチュアスポーツ全体を扱っていた。よ~く考えたら矛盾するみたいな気もするんだが、日本で初めてのバスケットボールプロ選手というのが特集されていたことがある。アジアでも、フィリピンやモンゴルなんかでは人気が高くてプロリーグもあるくらいのスポーツなんだが、日本ではまだ「企業の部活動」を超えるものではなかった。昼間サラリーマンをやっている人たちが、仕事が終わった後や土日祝日に練習や試合をする。一応そういうチームにはチーム名がつけられていて、頂点を決めるリーグ戦が毎年開かれていたんだが、そんな情報、スポーツ新聞を隅々まで読み込んでも載っているようなものではなかった。
そんな中、日本初のプロバスケット選手が誕生したというのだ。ふたりいたが、そのうちのひとり。アメリカのプロチームと契約したわけではない。企業の部活動でしかないバスケットボールチームの中で、サラリーマンの立場ではなく、バスケットボール専門の要員として、従って月給制ではなく年俸制で契約したという、それだけの話だった。特集されていたのは内山英輝という選手。だけどこの内山さんらのプロ契約は、それまでの日本バスケットボール界を考えると大変なブレイクスルーだったらしい。これを契機にプロ契約を結ぶ選手が続々と出てきて、その中には日本バスケットボール界の革命児と言われた佐山健志という人もいたことを、僕はずっと後に知ることになる。が、いずれにせよこの佐山さんでさえ、日本バスケットボール界を変えるには至らなかった。
そして、それが可能なんではないか、その期待を早くから受けていたのが、朝日勇太郎だった。だから、数少ないバスケットボールファンはもちろん、テレビ番組のコンテンツとしてサッカーに続く目玉を待っていたマスコミもこの高校生のことを追いかけていて、僕が住んでいるこの県にある独立UHFテレビ局ではあるが、この朝日という選手のことを追ったドキュメンタリーを流していた。
日本には、何度も言うようだがプロ選手はパラパラしかいなかったし、社会人リーグはあくまでサラリーマンの部活動、大学もドングリの背比べではあるが、高校だけはバスケットボールでどうしようもなく強い高校というのがある。日本唯一の強豪校と言っていいこの高校に、うまい中学生は挙って進学する。その高校は青森県にあったが、どんな都会の子供でもバスケットで生きていきたければその青森の田舎に嫌がることなく進学した。そして朝日という選手も例外ではなく、横浜からそこに行っていた。
子供のころから、才能は抜きん出ていたらしい。僕には全く覚えがないのだが、子供用の学習教材のCMに出たらしい。アメリカのプロバスケット界のスター選手を呼び物にしたCMだったそうだ。日本人少年がドリブルしているボールを、この選手が奪う。そういうシーンを、監督は撮りたかった。だがこの少年は、反射的に体をロールさせて、このトップ選手からマイボールを守ってしまった。そして周囲の大人の度肝を抜いた……この少年が、朝日勇太郎だ。
それにしても、なぜ神奈川県出身で青森の高校に通うこの選手のことを、僕の地元の独立U局が特集するのだろうか?それは、とにかくこの選手への期待が大きかったこと。高校生がとれるメジャータイトルと言えば国体・高校総体・全国高校選抜の3つがある。高校3年間にわたってこの3つのタイトルを毎年取って「9冠」を達成した選手は漫画の中にしかいなかった。この選手がその9冠への通り道を、この県で開催される大会でまた通過するかどうかに注目が集まっていたことがふたつめの理由としてあると思う。
あらゆる競技を各県が持ち回りで開催する大会がこの県で開かれることになっていて、大会の性質上開催地は県内全域に分散している。そしてバスケットボールの会場は、僕が住んでいる市だった。しかも、駅からバス通りを上がってきて、僕が住んでいる住宅地を一周したその先にある運動公園の体育館だった。この運動公園は、公式大会にも使える陸上競技場や野球場、サッカー場にテニスコート、競技用・レジャー用のプール、さらに冬期も使える室内温水プールもあり、競技場は割とちゃんとしたものが複数ある。そして体育館も全部でいくつフロアがあるかわからないぐらい立派なものだ。バスケットボールをやるには競技場自体は適切だったと思う。
だが、近くには宿泊施設がほとんどない。皆無ってわけじゃないんだが、名所古跡の近くに料理旅館が数軒あるだけだった。眠るのもコンディション作りのひとつで朝起きたらもう生活のすべてがトレーニングというようなトップアスリートの要望に応えられるような施設はない。だからバスケットボール出場チームはみんな北隣の県庁所在地に宿を取っていた。そこから電車とバスで会場入りするわけだが、朝日さんはこの市が終点になっているというあの駅からバスに乗って会場入りしたそうだ。周囲にほとんどスペースの余裕がないあの小さな駅がマスコミとファンと野次馬でごった返した。
朝日さんは青森の田舎で高校生活を送っている人だからそう気にも留めなかったと思うが、凹の字型のホームを簡単な柵で囲い、そこを降りたらプレハブ小屋の中でいつ来るかわからないバスを待つあの風景が、全国に流れてしまった。日本人なら誰もが知る名所があり、誰もが知る名産品があり、この地を詠った有名な歌も百人一首に複数含まれているから知名度はある。にもかかわらず、代表駅があれなの?ショボい!日本中の人にそう印象づける契機を、結果的には朝日さんが作ってしまった。
この私鉄にとってもかなり危機感を覚えさせられる出来事だったんだろうが、市のエライさんたちにもかなり衝撃的な出来事であったことは間違いないようだ。以前にも話したように相前後してJRがかなり本気で「このままじゃヤバい」と思い始めていたし、この街が大きく動き出す伏線は着々と布かれつつあった。
そんなことは全く知らない僕は、時々ショルダーバッグにネリーを詰めて、途中で途切れたあの郵便局への途中の道へ足を運んでいた。あの途切れた部分から、真っ白で平坦なアメリカの大学キャンパスを眺めるのは、景色としては悪くなかった。
「あの白い一帯があるだろ、あれがアメリカの大学だよ、ネリー」
僕はショルダーバッグから小型犬のように顔だけ出したネリーに話しかけた。
「アメリカの大統領が住む官邸も、まああんな感じみたいだね。ニュースなんかで見る限り、あんな殺風景じゃなくて周囲にほどよく緑が配置されていて、だいたい街全体がそんな感じみたいだ。そういう感じって、ネリーにとってはどうなの?」
ネリーはなんの反応も示さなかった。ただじっとその一帯を見ていた。見ているように見えた。なぜなんの反応もしないのだろう?僕と同じものが見えているはずなのに。
「日本の大学ってのはだいたい狭っ苦しいところに作られてるけどさ。ヨーロッパやアメリカじゃ広いのが当たり前なんだよね。分散してなくて広いって言ったら、日本では北大か筑波大かな。北大なんかいいかもね。ネリーの大好きな森がいっぱいある北海道だ。もし行けたら迷いなくネリーを連れて行くな」
そう言うと、ネリーは本当に仔犬が喜ぶみたいにカバンの中でもそもそとはしゃいだ。やっぱりネリーは森と聞くとなんとなく気分が浮き立つみたいだ。ネリーの反応はそんなだったけど、僕はやっぱりそこへ大学を見に行った。周囲をトリミングしてそこだけ見ていれば、なんとなく外国に行った気になったから。
そんな折、いよいよその大学が潰れたという情報が入った。潰れてからわかったことだが、本当はその大学も撤退したくてしょうがなかったんだそうだ。だが、撤退するにもただ撤退したんじゃ丸々赤字になってしまうので、土地の買い主を待ってからの撤退ということだったんだと。このときに大笑いの種になったのはその土地を丸々買い取った会社のこと。冠婚葬祭をやってるその会社は、このキャンパスをかなりそのまま結婚式場に転用するらしい。
僕は腹筋が攣りそうになるまで笑うと同時に、そのアイデアを出した人を心の底から讃えたい気分になった。どこの誰だか知らないが。あれだろ、パチモンのチャペルで「神の前で永遠の愛を誓」ったらそのあと披露宴で、丸いテーブルが並んでて白いクロスが掛けてあって来賓がそのテーブルを囲んでて、ステージにスポットライトが当たると新郎新婦がゴンドラに乗って降りてきて、ライターの親玉みたいなものを新郎新婦が持ってテーブルを回って、各テーブルに置いてある💗型の燭台に火を点けて回るんだろ。
まったく、そういう「欧米ごっこ」をやるには最適な場所だ。ほとんどの施設が使い回せるというのもコストパフォーマンス抜群だ。ごっこで自己満足するだけの欧米っぽさを僕は心底馬鹿にしていたから、ネリーを例によってバッグに詰めて連れて行ってまでその建物群を見てあれが教会になるのかとか想像しながら笑いこけた。自分の中のヨーロッパへの憧れだって大差ないんだけどな。
こんな商売、流行ると思う人はいるだろうか?多分ひとりもいないんじゃないか?そして実際流行らなかったわけで、この土地はこの後いろんな変遷をしていくことになるが、それがこのあとの僕らの運命に無関係であるとは言えないとは、このときには全く想像することすらできなかったよ。
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