どうも、創作するアニメオタクです

早速次の記事に取り掛かっていますが、最初のうちはたくさんネタがあっていいですね。

新しいノートPCを買ってもらったのですが、軽いので持ち運んで静岡市街の駅チカのカフェで書いています。

健康な人、健康だけど疲れた顔をしている人。

様々ですね。

事情はともかく、皆色々あって皆社会の歯車なんだなぁと思う今日なのでした。

 

さて、今日のテーマから。

私はアニメオタクです。

母から言わせてみても幼少期はアニメにとんとご縁がなかった私は、今や二次創作本を出すほどの沼の奥深くにいます。

その中で、いくつかの分岐点を経て私は創作活動をしています。

楽しい思い出ばかりのオタクライフをお話していこうと思います。

 

私がアニメという存在にはまったのは中学一年生の頃。同じ塾に通う女の子も含めて、複数人でお話していた時の事でした。

 

この時の私のアニメ遍歴といえば、ポケモンにニチアサ(戦隊ヒーローものやプリキュアなど)を幼少期に早起き出来たら見ていた程度で、熱狂的に見ていたわけでもない為、同年代の子よりも記憶があいまい、といった感じでした。

 

中学生になって塾に通い始めてから夜寝る時間が遅くなったのもあって、すぐに眠れないんだよね〜みたいな話の始まり方だったと思います。

 

「金曜日の深夜帯にBSでやってる、国を擬人化したショートアニメ面白いよ!」

 

ほえ?となりました。

 

まず「BS」が分からなかったし、国を擬人化とは何ぞや。

 

すると、「あれ、YouTubeでも見られるよ!」という子が。

何それ超気になる。

家に帰って「うちってBS観られる!?」と聞かねば。(観られた)

 

そんな会話を、5人くらいでしていました。

 

すると、何ということでしょう。

次の金曜日に全員がテレビなり「YouTube」なりでアニメを見てきていたのです。

我々は一致団結すると強い。

 

「あれ面白かった!」

「絵柄も可愛かった!」

 

次の月曜日はこんな会話で溢れていました。

 

ここから、転がるように沼に落ちていきます。

「YouTube」や「ニコニコ動画」で、動画を見る日々が始まりました。

 

メンバーの中に美術部の女の子がいたおかげで、クロッキー帳(鉛筆・シャープペンシル用の画用紙)に皆のお気に入りのキャラを書いてもらい、宝物になっていきます。(今でも宝物です)

 

お礼に何が欲しい?と聞くと、「あのね、このキャラとこのキャラが会話してる小説が欲しい…」

なぬ、小説とな???

早速祖母の携帯電話を借り「フォレストページ」というサイトに飛ぶと、会話文、いわゆる小説の形をとったもの、ss(ショートストーリー)などなど、いろんな形の小説がありました。

母が本好きで、家に天井まで届く本棚があるくらいなので、私も幼いころから読書好きだったのですが、小説を書くときは起承転結がある物語形式のものがいいなぁとなんとなく思い、書きやすい形式のもので書いてみたものを友達と読ませあいっこするなどしていました。

 

これが二次創作との出会いでした。

 

ひたすら「フォレストページ」にアクセスし、利用料金が高すぎることをいぶかしんだ祖母にめちゃくちゃ叱られるなどしながらも、楽しいオタクライフを送っていた私に、転機が訪れます。

 

iPodを父から貸してもらえたことです。

 

高校生になった時、周囲がスマホ勢になる中で私だけがガラケーでした。

まぁ買ってもらえるだけいいや、と気楽に構えていたのですが、これが思った以上に不便でして。

LINEの連絡が回ってこないなど支障をきたしたために、Wi-Fiがあるところでだけ使えるiPodを父から貸してもらいました。

 

つまり家でなら「pixiv」という小説から漫画・イラストまで網羅した投稿サイトがみられる!

 

「アルドノア・ゼロ」という作品を見始めたころの事。地球と他の惑星人との間で戦闘がおこるロボットアニメでした。

「pixiv」を漁っていて気が付きました。

探しても探しても、W主人公の片翼、元地球人という設定の男の子と、虐げられてきた彼を唯一慈しんでくれた存在である姫の二次創作イチャイチャ小説がない!

 

と思っている間に、夏休みの課題逃避パワーで、初めて「友人ではない人に見せる小説」というものを書きました。

多くの人に読ませるには、どんな書き方をしたらいいのか、興味を引くためにはどうすればいいか、たくさん考えて、たくさん時間を使って、2300字程度の小説が出来上がりました。

 

もう恥ずかしくて(私は自分の作品をめったに読み直さないのですが、その中でも特級クラスで)読めない作品です…

読み返しはしませんが、今でも夏の夕暮れに何度も読み直して誤字脱字がないか確かめたドキドキ感と高揚感を、正当に評価してくださった方がいたことを、忘れてはいません。

 

高校のうちに書いた作品はそのひと作品だけでしたが、良い経験と大量の終わらない課題を残して受験期になりました。

 

受験期にはまったのは「刀剣乱舞」でした。パソコンを自由に使える環境ではなかったため、ゲームはできませんでしたが、「ニコニコ動画」で動画を見まくって見事大学第一志望に落ちました。

そうです。https://infini.drone-i.co.jp/2024/12/19/%e3%81%af%e3%81%98%e3%82%81%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%ae%e3%81%94%e6%8c%a8%e6%8b%b6/

一番初めの回では自分自身の情けなさと祖母の死のショックだけが原因のように書いていましたが、これも原因です。

ちなみに同じ沼に落とした幼馴染も第一志望には落ちています。

すまぬなぁ。

(中期で受かった幼馴染は、後に私に、受かった大学に通えてよかった!と言ってくれました。ありがてぇ…)

 

大学時代はほとんどアニメを見る時間が取れず、病気になってからは何かと見る元気もなく。

徐々に元気が出てきて、いつの間にかできていた推し声優さんが出ると聞いて、見始めたのが「呪術廻戦」でした。

これがまぁかっこいいのなんの。

 

どっぷり沼につかり、ここでなんと、本を出します。

「コピー本」と呼ばれる紙をただ折ってホチキスで止めただけの作品。

それでも何名かの方に手に取っていただけて、嬉しかった…のですが。

イベント前は体調が悪く、作品に本気を費やせなかったと感じ、絶対にリベンジする!と誓いました。

 

3年ほどいた「呪術廻戦」の沼から出て、昨年4月に推し声優と推しバンドが関わるというアニメ「忘却バッテリー」の沼に入りました。

誰も死なないけど胸にグサグサ刺さるアニメに魅了され、ファンの雰囲気も良く、あぁ、居心地良いなぁと思っていたらですね。

 

本を出すことが決まっていました。

 

私もよくわからないんですが、イベントの参加締め切りが伸びた!と言われたので、じゃあ出ます!となったのです。私もよくわからないんですが。

 

1万2千文字書けるようになった自分は、高校生の、初めて人に見てもらう作品を書いた時と同じ熱量で。

今度こそ体調を万全にして、製本して納期も守った私は「呪術廻戦」で得た決意をちゃんと胸にしていて。

会場分が完売したときはとても嬉しかったです。

 

今年の目標は6月のイベントに出ることです。応援よろしくお願いします!