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 そんな生活の中、生きるために「カゴの中の鳥」を演じている僕の中で、カゴの外の世界への憧れはどんどん募っていったことは言うまでもないだろう。繰り返すがそれは僕にとってイギリスへの憧れと同じ意味であり、僕は留学に憧れるようになっていた。留学のパンフレットをもらい、それが現実のものにならないかと画策してみたりもしたのだが、結局は母が立ちはだかった。
 これも何度も言っているが、母は「これが当たり前」という感覚が時代ズレしている上に極めて狭い。口では「あんたは好きに生きていいよ」と言いながら、中学出たら高校に行き、高校に出たら大学に、それもなるべくいい大学に行き、大学出たらなるべくいい会社に就職、という「当たり前」の人生から外れた方に足を進めようとしたら強硬に反対するのが母のやり方だ。母は僕がやろうとしていることをちゃんと調べた上で賛成なり反対なりしてくれたことは1回もない。このときは白人というのがどれだけ凶暴で狡猾で傍若無人かをまるで見てきたかのように延々語り出した。
 まぁ、実際母は白人を見たことはあるそうだ。戦後、進駐軍の兵士が酔っ払って、巨体の白人が上半身裸でしかも酒を飲んでいるので真っ赤で、まるで赤鬼のように見えたという経験があると。だから母にとっては酔っ払った赤鬼こそが白人なのだ。僕は「この人に何を話しても埒はあかないな」と思ってしまって途中で話をやめたが、母は白人の浅ましさを語る口調に次第に熱が入り、そのうち「鬼畜米英」と叫び出すんじゃないかと思った。
 まぁ、早い話、僕は母の「当たり前」の中で生きていくしか生きる道はないわけだ。大学に入って、ある程度アルバイトでもするようになったら、そのお金でいくらか母の「当たり前」ワールドから出て外を覗くことはできるようになるかもしれない。このころ既に僕は大学は前住んでいたところ、転校前のあの中学から順調に進学していったら当然選ぶような大学を選ぼうと心に決めていた。だけどその日が来るまでは、親さえその気になれば僕を干物にでもできるんだから言うことを聞く他ない。毎日毎日残飯処理のような食事をさせられていたが、親に言わせれば「嫌なら食うな」だろう。実際、母は嫌いな食べ物を嫌いと言ったら「食わんでええ。頼んでまで食べていらんのじゃ」と親に言われて育っているそうなのでそれが当たり前だと思っている。それにしても、このおかずは好きじゃないというのと主食であるご飯がすえた臭いがしてしかも水気を失ってカラカラだからなんとかならないか、というのではわがままの度合いは格段に違うと思うのだが。
 こういうときに正直な気持ちを話して聞かせる相手は、僕にとってはやっぱりネリーしかいなかった。
「親ってなんのためにいるんだろうね、ネリー」
 僕はそう話し始めた。
「一切束縛しない、自由にしていいよ、って口では言っておきながら、自分が気に入らない選択肢を子供が選ぼうとしたら、ありとあらゆる否定要素を並べ立てて諦めさせようとするって、それって結局『私の気に入る道以外選ぶな』って言ってるのと同じじゃんね。そう思わないか?」
 このとき、小型犬ほどの大きさになっていたネリーは、やっぱり僕のデスクの上が定位置で、何か難しいことを考えてます、を表現するかのように頭に手をやった姿勢でデスクの上を往復した。
「あぁ~あ、僕はいつまで親の檻の中で生きればいいのかねぇ」
 ネリーに語りかけると言うよりは、僕は独りごちた。ベッドの上にゴロンと横になり、雑誌とかいつだかに行った輸入CDショップで出してある無料情報誌とか、そういうものから切り抜いたティムの写真が一面に貼られた壁をぼんやりと眺めた。
「そういえばネリー、お前に親って言うべき存在っているのか?」
 僕はそうたずねた。なんで今までこれを考えなかったんだろう?彼女がいるかどうかより、生き物としてはこっちの方がはるかに重大問題じゃないか?でも、やっぱりネリーは自身よくわからないように首をひねるばかりだった。いつか、ネリー自身と僕にとってネリーがどういう生き物なのかという疑問に対する納得できる答えにたどり着くことはできるんだろうか。
 嫌なやつはどこにでもいよるから我慢する。そんな母に嫌なやつが近づいていた。それは、入院先の病院からうちの両親には何の連絡もなく祖母が忽然と消える、という形で、我々の前に現れた。