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1回だけ僕も顔を合わせたことがあるそのおばあさんは、僕から見た率直な感想を言うのならば「穏やかで上品そうな人」だった。幼いころに親が行方不明になりその後は根性だけで生きてきた海千山千の祖母とはとても気が合いそうに思えなかった。しかし、僕ももう知ってしまった。一見すると穏やかに見える人こそが、邪な考えを持っていたら本当に恐ろしいのだと。
年を取るということは、必然的にいろんな能力の衰えを伴う。老人にとっては、いままでできたことができなくなるというのは受け入れがたい事態であって、自分は馬鹿にされているのではないかと被害妄想に陥るんだと思う。両親とも大家族で老人との接点が多かった僕は、元気だったころには穏やかな人だったのにこんなに攻撃的な性格になった、という思いを何回も味わっている。
増して、元から気のきついこの祖母のことだ。母が「大丈夫?」「できる?」「代わりにやろうか?」というような、当たり前のいたわりの言葉をかけたときにすら、馬鹿にされているような気分になっていたんだろう。だから、そとづらは「聞き上手」なそのおばあさんに、いとも簡単に全面的信頼を預けてしまったのだと思う。
法律上は僕とこの祖母は家族なのかも知れない。だけど、僕にとっては他人の人生を自分のわがままで振り回してなんとも思わない悪質な詐欺師だ。給料を出すと嘘までついて僕らを引っ越しさせた名目は「本家の跡継ぎ」のためだ。父の実父は大家族の末の息子、そして養父は長男だった。その養父が、先妻との間にも、そして僕がいま祖母と呼んでいる後妻との間にも子供ができなかった。だから、一番下の弟に養子をくれと持ちかけて、父が養子になった。この祖母と直接の縁があるのは父の兄弟姉妹の中で父だけだ。
そこで祖母は、父の兄弟姉妹の間で「いつかはなんとかしないといけない問題」だった家督相続問題が目の前に迫りだしたころ、家督を継ぐのが僕の父として話はついてるという既成事実があるかのように触れて回り、うちの両親の外堀を完全に埋めてしまった。
「そんなこと、俺は承諾した覚えがない!俺は俺で、この地で生活を営んでいる!」
と、言い切れるほどの立派な生活実態はうちの親には、特に父にはなかった。まともな給料は取っていなかったし、母のおかげで生活に余裕が出ても将来設計を見直すとかそういうことは全くなく、考えていたのは「女のいる店で酒が飲める」だけだった。
将棋で言えば、僕の父は歩兵にすら相当しないだろう。だって、歩兵は取っておけば、将棋盤という戦場に復帰させてまたなにがしかの役割を与えることができる。しかしビジネスにおいて、僕の父はあまりにもヘボすぎる。実際、西日本営業所を任せたいと言ってきたその社長のところに夫婦ふたりそろって挨拶に行ったときに、電話応対のロールプレイングをやることになったんだそうだ。そして「ハイ電話が鳴りました、出ましょう」で電話を取ったていを演じた父は、第一声でいきなり前の会社の名前を名乗ってしまうという大ポカをしでかし、社長に鼻で嗤われたそうだ。そのとき社長は思ったに違いない。こいつに捨て駒以上の仕事はできないと。
結果、その社長と祖母とに僕の両親は騙されていいように使われて、その煽りを受けて僕の楽しくないティーンエイジ・デイズがあるわけだが、僕には全面的にその社長と祖母が悪いとも思えないところもある。詐欺にかかる人間は、元々の能力もたいしたことないしそれを補う努力もしないのに、分不相応な金銭的・身分的待遇を得られるというおかしな話を疑いもしなかった馬鹿な人間だ。
その会社に父が捨てられてからもうずいぶん経ったような気がするけれど、実は祖母もこのころ父を捨てようとしていた。母に対して「あんただけいればそれでいいから、あの子とはもう養子縁組を解除する」と言っていたらしいのだ。それは母から見れば離婚の強制だったから母が反対したんだが、父が妻を守るという意味も込めて弱りつつあった祖母のところに足繁く通い、関係をきちんと築いていればこの後数年間煩わされるゴタゴタは発生しなかったろう。
だけど、このころ父がやっていたのは、朝起きて原付に乗って町工場へ行き、仕事を終えたらまっすぐ帰ってきて安い酒を飲みながらプロ野球を見て、僕にはなんの興味もない野球についての事柄を熱弁することだけだった。父にとって楽しいことはこの世の中に酒と野球だけであって、それ以外の話題はないに等しかった。こんな薄っぺらな人間に、信頼を置いて仕事を任せる人も、人間を気に入って交流を持ってもらえる友達も、まあできないだろうな。
僕が「穏やかで上品そう」と思ったおばあさんは、祖母の愚痴を聞くようなふりをしながらその祖母の中に「自分の人生はこの家の血筋存続のための道具としてとことん使い潰されてきた。かつての夫は自分を虐げ、その夫を亡くしてようやく手に入れた自分の城でもあるこの店での幸せな生活も、この家の人間である息子が財産目当てで狙っている」というストーリーを見事に作り上げた。
まったく脇が甘いと言わずにはいられない。僕の父はその日飲める酒があればそれ以上のことは考えたくない人だから、祖母の名義になっているその家兼店と土地をどうこうなんて考えてもいなかったと思う。だけど祖母がそういうストーリーに誘導されたのも無理はない。祖父に傅(かしづ)くことを強いられたのも、聞くところによると事実みたいだし、現在息子は老いた自分に対していたわりの言葉ひとつかけるでもなくなしのつぶて。祖母の立場から見れば、人間として親として尊重されてないと思えるのも無理はないと思う。
というわけで、僕の両親は単に「カネがない」だけではない、またもっとめんどくさい問題を抱えるという事態に、このころから入り始めていたと言っていい。まぁ、こういうことを知ったのはずっと後になってからであって、僕はますますいろんな意味で余裕をなくしていく親(特に母)の気配を感じていただけだった。
こういう事態だから、僕の「ここを離れたい」という思いはますます募っていて、それは僕の中でイギリスに行きたいという思いと同じ意味だった。こっそりと、ターミナル駅前にある英会話スクールに電話をかけて、試しに講師と会話を体験してみるという無料体験会に出向いたりもした。1対1の会話だったけど、知り合いにネイティブのスピーカーも帰国子女みたいな人も全くいない、完全英会話初体験にしてはそこそこしゃべれた方なんじゃないかと思う。
そのとき応対してくれた講師は美人の女性だった。駅で見かけるあの娘とは違いカールしている髪だったが、それでもブロンドヘアはやっぱりきれいだなと思った。僕にとっては、嫌なことばかりあるこの日常から連れ出してくれるかも知れない非日常からの使者の目印のようなものだった。
だけど当然、英会話スクールの受講料なんてそのときの僕には逆さに振ってもないものだった。ヴェニスの商人の話じゃないが、自分の体の肉がカネに換わるなら僕は換えていたと思う。
そんなあれこれを、包み隠さず話せる相手はやっぱり僕にはネリーしかいなかった。学校に行くために僕が乗り換えをするターミナル駅は、国際的な観光都市でもあるこの街の玄関口だ。このターミナル駅以外の場所から観光を始める外国人観光客はまずいないだろう。だから僕はこの駅でしょっちゅうブロンドヘアの観光客を見ていた。そして見るたびに、今日見た人は同じブロンドでもちょっと色が薄めのプラチナブロンドに近い人で、背丈がこれぐらいですらっとした人で瞳の色は薄いブルーで、こんな感じの美人だったよ、とかそんな感じで、本当はもっと事細かくだけど「今日見た美人さん」についてネリーに語り、そしてその美人度の品評を聞かせた。
だから、このころネリーは僕が思う「美人」というのがどういう人なのかというイメージを持ちつつあったと思う。確信を持ってそれが言えるのは、僕がコソコソと、そしてイソイソと買ってきて鑑賞してるブロンドモデル専門のエロ雑誌を一緒に見ていたわけだけど、ネリーは百発百中で僕にとっての「今月のベストモデル3人」を当てるようになっていたからだ。ネリーは僕の好みのモデルが出てくるたびにそのページをオーバーアクション気味に指し示した。
「なんだよネリー、お前も結構好きなんじゃないの?」
僕はそう言って茶化した。ネリーは「何のことかな?」とでも言いたげにすっとぼけるような仕草をして見せた。僕は大笑いした。
純粋に笑える出来事って、このときの僕にはそれくらいしかなかったな。
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