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高校に行くようになって、僕の生活はずいぶん変わった。いままでの生活と何が一番違うかと言えば、何と言っても朝が早くなったことだろう。授業は朝の9時からだけど特別クラスは朝の小テストがある。だから授業開始の20分前には着いていなければならなかった。お小遣いが復活したっていうのも、言っとかないといけない点だろうか。結局奨学金を受けることになったその月額から、毎月2千円だけ自分のために使っていい、ってことになっただけだけど。
くどいようだけど県庁所在地を東西に走る大幹線は電車もものすごく頻繁にあるし、人の往来も多い。だけど、ターミナル駅から北へ行く路線も南に行く路線もそのころはまだ単線だったし、北へ行く方に至っては電化すらされていなかった。車両のやりくりも極めてまずくて、僕が行った高校も含めて同じ駅を使う高校が3校あったし、その駅からさらに北に進む高校生も結構いた。さらには先には大学や短大もあった。だから朝は当然大ラッシュになるのに、一番必要な時間にわずか2両編成のディーゼルカーを使っていた。駅の中で、北の端と南の端というこの2路線は、乗り継ぎもほとんど考慮されておらず駅の端から端までダッシュしても場合によっては間に合わなくて、そして1本逃したら30分待ちが当たり前だった。
だから朝は7時には出ないと間に合わなかったけど、それでも僕は久々にのびのびと学校生活を送ることができた。相変わらず、あの塾の連中とはそれほど馬が合わなかったけど、僕とは逆にもっと北の方から来ているクラスメイトには仲良しがずいぶんできた。なぜかわからないけど、僕はクラスメイトから信頼を受けてて、北の方から来ている友達のひとりとともにクラス委員の常連になった。
高校で、僕は英語の成績がずいぶん伸びた。きっかけは、英文法の時間にボケッと外を見ていたら担当の先生にマークされてしまって、なにかと前に出て黒板に解答を書く役割を当てられたからだと思う。文章をパッと見ただけで、大半の場合その文章の構造がわかるようになった。構造のわからない文章でも、機械的な単語暗記だけでは難しいニュアンス的なものにも敏感になって、少々わからない部分があっても文脈から補うなんてこともできるようになった。
言語能力に長けた部分が、僕にはあるんだろうか。このころ僕にとってもうひとつの得点源となったのが現代国語だ。担当している先生が定期テストなんかにも授業でやったことより大学の過去問なんかを好んで出題する先生で、クラス全員が40点とか50点とかで伸び悩んでいる中、僕だけ80点台を出したりしていた。
逆に、中学生のころから90点は取れたはずと思ってたテストが70点台だったりという感じで若干違和感を覚えていた数学がこのころ崩壊した。さらに小学校の時の担任が歴史というものを「ごく一部の支配者のために民衆が搾取される過去からひとりひとりが手に手を取って社会を作る未来へ」と教えた影響がまだ残ってて、だから僕は歴史なんか端から勉強する気すらなかった。
それでも、英語があまりにも伸びたことにより、僕はシルバーではトップ常連、ゴールドを含めても10位台の前半には入るという、自分でも信じられない成績を出すようになった。早く言えば高校生活において僕は順調すぎるスタートを切ったということになる。
「痛快やなぁ!」
塾で一緒だった連中より上だったよと言うと母は喜んだが、自分が意味のないことを僕に強いていたという感覚はないらしい。もうこの人には、何を期待しても無駄だろう。僕の失敗はあくまで僕のせい。僕の成功は自分の教育のたまもの。ある意味うらやましい幸せ回路だ。何はともあれ、割と平穏な日々がやっとやって来た。
また、父がちゃんと給料が保証された職にやっと就いた。工場の生産管理者という肩書きだったが、工場と言っても普通の町工場、管理職でもなく、やってる仕事は平の工員と全く同じだったけど。
不穏なことになっていたのは母だった。会社勤めを終えたら、その足で祖母の店の手伝いに直行。しかし、祖母がこのころから惚けはじめた。元から気の強い人だったが、だからこそ不手際があったら全部母のせいにして怒鳴りつけて「自分はどこも悪くない」を貫いたらしい。母はそんなわけで帰りが遅いので、父が家事一般何にもできない以上否応なく僕の責任にはなったけど、とりあえず居場所はできた。僕はほっとしていた。
だから、僕はネリーともこのころ割と穏やかに接することができるようになっていた。ただ、気になるのはゴルフボールとして帰ってきてから以降、ネリーが何も食べていないことだった。あの、初めて僕の前で「食べる」という行為をハッキリ見せた時より、いまの方が若干大きいだろうか。相変わらず、空中をふわふわ舞うことはできるようで、狭い僕の部屋の中を飛び回っていたが、体を伸ばして僕を包んで高く遠く飛んでいたあのころのような飛行能力は、このときあるのかどうかハッキリしなかった。あったとしても、この体の大きさじゃ僕を空に連れては行けないだろうな。
父が「ちゃんとした」就職をしたことにより、割とちゃんとした時間に帰ってくるようになったこと。一方で、僕が遠くまで通学するようになったこと。このふたつの事情で、僕が家に帰ってからのネリーとの時間は短くなっていた。
「なあネリー、あんなにでっかくなったのに、そこまで小さくなった理由って、自分でわかるものなのか?」
僕はそう訊いてみた。だけど、ネリーは相変わらずきょとんとした状態で、自分の身に起こっている変化について何も知らない様子だ。自分が変化しているという自覚すらないんじゃなかろうか。
「やっぱわからないか……じゃ、何も食べない理由は?」
これにも、何も知らない、わからないという反応が返ってきた。
「そうか……まあそれでもいいんだけど。なんとかネリーを食わせなきゃいけないっていう、あの緊張感が少し懐かしくもあるよ」
僕は、学校についてのあんなことこんなことをネリーに話して聞かせた。1日の授業が全て終わったあとに、1時限分の時間を取って英語のテストがあったけど、英語担当の先生が監督している前で速攻で終わらせて、それでもクラスで一番いい点だったこととか。
考えてみれば、学校の生活が楽しいっていう話を、中学の時はネリーに聞かせてやることができなかった。ネリーは僕の愚痴聞き役で、正直うんざりしたということもあったんではないかと思う。よかった。やっと穏やかな心でネリーと接することができた。
話は変わるけど、朝が早くなったせいだろうか、僕はこのころ家に帰ると眠ってしまうことがしばしばあった。そういうときぐらいは、父も自分で簡単に食事は済ませてくれた。だけどみんなが寝静まったころ、逆に僕の目が覚めて眠れない。だからやっぱり夜中に起き出して適当に食べてお腹を満たしていたが、ある日窓から外を見たら、夜中にネリーが森の方に向かって飛んでいくのを見た。
いったい、何しに行ってるんだろう?
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