ある日母は、居間でクッションを枕にうたた寝をしていた。そこに父がやって来た。母が眠っていることに安心したのだろう、居間に入ってきて、またお気に入りの缶チューハイを飲み始めた。僕はこの場からもう既に逃げたかったが、母からの頼み事の件も心に引っかかっていた。だけど、僕だってそんな、誰が考えても愉快な話になるはずない会話はしたくない。だから躊躇して、その日はとりとめのない会話だけで寝ることにした。そしてその翌日、母はまた伯母さんの家に逃げていった。
 伯母さんからまた連絡をもらって、僕はどうしても父を問い詰める役目をしなければいけないらしいことを知らされた。場合によっては、実力行使にも出なければいけないようだった。家の中で暴れたくないから、話があると言って、一番最初にネリーとグミの実を食べたあの森に父を連れて行って、僕は父を問い詰めた。
「なんで暴力なんか振るったんだ」
「あの女が生意気だからだ」
「だけど、飲酒運転が危険なのも事実だし、そんなことをしなけりゃチャンスとやらがつかめない会社もおかしいだろ。どこが間違ってるんだ?言ってみろよ」
「子供が大人の事情を知る必要はない」
「いい加減にしろ!」
 そう言って僕は父を殴った。
「俺は全然納得できない。何もかもだ。何もかもだ!周りにこんだけ嫌な思いをさせるだけの、ちゃんとした理由があるんならいまここで言ってみろ!子供が大人の事情を知る必要がない、心からそう思っているんなら、僕を拳で黙らせてみろ!!」
 しかし父はゆっくり起き上がってこう言った。
「お前、父親に手を出したな。俺は覚えとくぞ。覚えとくぞ!」
 覚えとくからなんなんだ。それを説明することもなく、父はそのまま立ち去った。卑怯者の弱虫。僕はちゃんとわかってる。父親として僕に立ちはだかる覚悟もないし、殴っても殴り返される心配がない人間しか殴れないんだ。この男は。
 僕は壮絶に後悔していた。父を殴ったことでもなく、父をそのまま帰らせてしまったことでもない。ネリーの森を、こんなレベルの低い争いの場所に使ってしまったことに。僕はそのままがっくりと膝をつき、悔しくて悔しくて、情けなくて悲しくてやりきれなくて後から後から、涙があふれ出た。
 その気配を察するように、ネリーが家から飛んできた。このころには、家の天井裏が一面ネリーの体で覆われているレベルに大きくなっていたはずだ。
「ネリー、危なくても全然構わない。だから今日は僕のリクエストに応えてくれ。できるだけ早くできるだけ遠くできるだけ高く、できるだけ滅茶苦茶に、僕を空に連れて行って振り回してくれ」
 ネリーは、もう3メートルに近くなっていた体から僕を見下ろしながら、しばらくじっと考えているように見えた。たぶん本当は、ネリー自身そんなことはしたくなかったんだと思う。しかし、その日の僕はそうやって自分の命を危機にさらさないと気分が収まらないことを、たぶん感じ取ってくれたんだろう。大空に僕を連れて行って、滅茶苦茶に僕を振り回してくれた。
 やっぱりこのころ、僕の味方はネリーしかいなかったんだ。

   14
 逃げたくて逃げたくてたまらない僕の日々は、いつになったら終わるんだろう?かりそめにも「カゴから出た鳥」になれたネリーとの夜の散歩の時間以外は、僕は相変わらず踏みにじられて罵倒嘲笑されていたと言っていい。
 母は、それからしばらくしたら帰ってきた。帰ってくる決め手になった出来事は、僕にはわからない。例の信頼している伯母さんから、もう少し頑張ってみれば、とかなんとか言われたのかも知れない。母は(その兄弟姉妹も)古い考え方の持ち主だから、離婚というのをまるで犬畜生がやる行為みたいな言い方をしていたのは、それ以前から確かなことだった。いつ襲ってくるかわからない猛獣と一緒に暮らすように、このころの母は毎日を送っていた。
 僕にはこのころ希望進路を決めるという義務が課せられていた。陰湿塾長が「今狙い目な進学クラス」として推していたのが、僕に服をくれたお兄さんの出身校だ。なんとなくそこを受ける雰囲気も出始めていたが、中学の3年生の時の担任が「遠すぎるから自信を持って勧めるものではないけれど」と言って教えてくれた新しい高校があった。母と一緒に見学に行ったが、とにかく長時間バスに揺られなければいけない遠さだ。しかも校長は母が高校生だったころの先生のひとりということで、どこに行っても見張られているようで「僕は凶悪犯罪者か?」と思った。この高校では受験前には学校泊まり込みで勉強するそうだ。体育会系で嫌だな、というのが正直な感想だったので、親には「考えさせて」とだけ言った。
 もう一方の選択肢である従兄のお兄さんが出た高校も、一応見ておきたかった。僕はその学校の見学会にも行ってみることにした。高校の入学希望者を対象にした説明会に生徒本人が来ることの方が珍しいらしい。周りは保護者ばかりで生徒は僕ひとりだった。
 繰り返すけど、この県は南北に長く中央に位置する県庁所在地に東西の大幹線が通ってる関係上、その幹線をまたいでの移動は鉄道も道路も直通の道がない。だからその学校に通うのなら例のコトコト列車でターミナルまで出て、そこからまた列車、まだ電化されてなかったのでディーゼル列車に乗らなければいけないという場所ではあったが、そこにさえ目をつぶれば交通の便はこのあいだの新しいけど新興宗教の施設みたいな学校よりはるかに良かった。
 そして、学校はたぶん歴史が古いんだろうな。お世辞にもきれいとは言えなかったけど僕はゴキブリさえ住めなさそうなきれいすぎる環境より、下手をすれば思わぬ闖入者と出会うようなほどよい汚さを持つ環境の方が好きだ。それに、学校泊まり込み!みたいな体育会系な暑苦しさも感じない、ほどほどのユルさを感じた。
 従兄のお兄さんが受験したころとは制度も異なっていた。特別進学クラスが作られてそこそこ実績ができてきたということで入学希望者が増えたそうで、授業料が全額免除される「特別ゴールドクラス」と半額免除の「特別シルバークラス」ができていた。入試は全員同じ試験を受けるが、その上位者が「ゴールド」その下が「シルバー」に入るとのことだった。また、ゴールドクラスには部活禁止だが、シルバークラスの生徒には希望すれば部活動も認めていた。
 僕は数日間考えた。あの遠い高校は、ライバルがたぶん少ない。だから受かる可能性は高いかも知れない。だけど、落ちたらそれまでだ。一方、お兄さんの行っていたこっちの高校なら、ライバルは多いだろうけど入れなかったときのためにシルバークラスというもう1枚の受け皿がある。
 数日後、僕はお兄さんが行っていた高校を受験することにした。決め手は、やっぱり泊まり込みで勉強!!みたいな体育会系ノリを好きになれなかったからだ。僕はそれを親に伝え、もしシルバーだった場合公立より授業料が高いが、それでもいいのかと念を押した。親は「お前のためなら頑張る」と言った。こっちに引っ越してきたときにも「お前のため」と言われているのを考えると、それを素直にありがたい言葉と受け取ることは、僕にはできなかったけれど。
 そんなことがあってからまもなくだ。僕が塾に行っていないことがバレたのは。どうやってバレたのか、それは僕にはわからない。案の定、僕は散々に罵倒された。数時間も罵倒され、ついに母は泣き出した。悪いのは僕じゃない。合わなかったらやめたらいいと僕を騙した母が悪いんだ。
「あんたはいつになったら、反省してくれるんや?熱い涙を流してくれるんや?」
 母は三文芝居の台詞のようなことを言って僕を離そうとはしなかった。悲劇のヒロイン気取りか。僕が頭を下げないことには、この場が収まらないことは明白だった。
「あんたにはもう、なにも期待してない」
 僕が謝ったら母は言い放った。そして、塾を見つけてきた伯母、暴力を受けた後母が駆け込んだ伯母、そういう人たちからも、ひとしきり罵倒を受けて、謝罪行脚をしなければいけないらしかった。僕はこのときから、お小遣いをもらえなくなった。そして、謝罪の証に毎日両親が家に帰るまでに晩ご飯の用意をします、という誓約書を書かされた。
 このとき母は、あのクッションで眠っていたときのことを話し出した。本当は、あの時起きていたんだそうだ。だけど、僕が父に対して何と言うのか、確かめたくて寝たふりをしていたんだそうだ。なんで私を殴ったことをお父さんに問い詰めてくれないのかと思っていたけど、今から考えたらあんたもやましいことをしていたから、ということに決められた。親の喧嘩の仲裁をするのが子供の義務であり、それができない子供は犯罪者になるんだな。誰だって他人の喧嘩に口出すようなことが面白いはずはないだろう。だけど母の中では、そうやって諜報活動を通じて得た「僕が喧嘩の仲裁をしなかった」という事実は、自分たち喧嘩を起こした当人よりも僕の方の失態であり僕は悪者に定まった。
 この件を境に、変わったことがある。僕を罵倒するという共同作業を通じて、両親の問題が片付いたことだ。結婚式の披露宴の司会者が言う、定番中の定番の台詞があるのを、知っている人は多いと思う。「おふたりの結婚後初めての共同作業」だ。なるほどね。僕を罵倒するという共同作業を通じてこの夫婦は心をひとつにすることができるようになった。いま離婚の危機にある子供のいるご夫婦がいて、本当はもう一度やり直したいと考えているんならば、なんでもいいから子供が悪いことにしてふたりで息を合わせて罵倒してみたらいいと思う。とても爽快に気分が晴れて、夫婦の未来に対して前向きになれるはずだ。つまり、凶悪犯罪者並に見張られていると思っていた環境の中で、僕は見事凶悪犯罪者になったわけだ。
 ひとしきり罵倒されたあと、僕はネリーにこういうことになったよと話して聞かせた。ネリーは変わらずちゃんとした顔はなかったけれど、これまでで一番シュンとしているのが明らかだった。
「悪いのは全部僕なんだよ。世界中の不幸は全部僕が作り出してるんだ。だからネリー、お前が悪いんじゃないよ」
 僕はそう言ったが、どう考えても良くできたジョークではない。
 翌日、僕がクローゼットからネリーを呼び出しても、ネリーは出てこなかった。僕は天井裏に潜る方法はないかと試行錯誤した結果、和室の天袋の天井板が動かせることを発見した。そこに、ネリーの姿はなかった。僕の唯一の友達は、僕の元から遠ざかっていった。
 僕の「独房生活」が始まった。