「ゴメンなネリー、こんな話、聞いてても面白くないよな」
ネリーも、心なしか元気がないように見えた。
通い続けること数ヶ月。季節は夏がになっていた。我ながら、通い続けていただけ立派だと思う。だが成績は伸びないし(当たり前だ)塾の月謝分が余計な出費として家計を圧迫していただけで、いいことなどひとつもなかった。その塾の月謝を捻出するために、母は夜からの仕事をまた何か見つけてきて始めたようで、ますますその視界の中から「僕がどんなことを考えて毎日過ごしているのか」は外側へと追いやられ、母はカネを稼ぐことだけ考えていた。
ある日僕は、ふと考えてしまった。
「電車って、うっかり乗り過ごすってことだってあるよな」
ある日、僕はうっかりしてみることに決めた。この列車は、終点まで行ったら、そのまま折り返してくるはずだ。どこに行くのかさっぱりということにはならないだろう。なったらなったときだ。
列車は、案の定折り返しの便としてその駅にしばらく滞在したあと、逆方向に進み出した。それでも、あの駅まで着いたら、授業の時間はかなり残っている。折り返し駅に着くまでに見た中で、一番心惹かれたあの駅に降りてみよう。ホームがあって、その前をまっすぐ線路が1本走っているだけ、ボロボロの待合室に暗い電灯がひとつついていて、はるか彼方にある街の明かりがぼんやり見えるだけで、駅の周りには光るものがほとんどないという駅だった。
ナイフで容赦なく切り取られるように減っていた僕の自由な時間は、それでもやっぱり図書館に行ってイギリス関係の本を読むことに使っていた。隠れ家みたいなこの待合室の中で、借りてきたそれを読んで時間を潰そう。ストーリーはこう。僕は今日、電車に乗って座ったらうっかり眠ってしまい、気がついたらいくつか駅を乗り過ごしてました。慌ててすぐに降りたら、実は終点まで行って戻ってきてその駅に着いたときで、後続列車を30分待っていたら、塾に着いたときにはもうほとんど授業は終わりでしたとさ。
僕がカバンを開くと、そこにはミニサイズのネリーがいた。スキー旅行の一件があったので、ネリーがいる理由がすぐにわかった。
「ネリー!来てくれたのか!」
ネリーは、コクコクと頷いた。
「すごく嬉しいし、ありがたいけど、今日これから遊びに行ったらいくらもしないうちに帰らないといけない。とりあえず今日は、大遅刻で塾に行ってみるよ。その結果で、その後のことを決めよう。今日は、おとなしく帰って僕が帰るのを待っててくれるかな」
そう言うとネリーは再びコクコクと頷いて、北へ向かって飛び立っていった。僕は30分ほど経って後続の電車に乗って塾に行き、こういうわけでと作り話の説明をした。
塾長は一番前の席の連中に言った。
「ほら、彼は頑張り屋さんやから。負けんようにしような」
そう言うと一番前の連中を中心として教室が笑いに包まれた。
僕は決めた。これからはずっとうっかりさんになろう。そして、ネリーと遊ぼう。
それからは、クローゼットにいるネリーと必ず示し合わせてから「塾」に出かけることにした。便数の少ない路線だから、駅で時刻表を無料で配っている。それを見れば、いまから出れば何時何分発の列車に乗れて、その列車は何時何分にあの暗闇の駅に着くのかすぐにわかる。ネリーにはそこに待機してもらうことにした。
駅のホームの線路を挟んで反対側は軽い斜面になっていて、少し高くなったところに木立があった。どうやらその向こうには細い道路があるようだったが、その向こうは山だった。この環境をネリーが喜ばないはずがない。
南にある終点駅は、僕の住む県の県庁所在地にある始発のターミナルに比べれば格段に小さい。ひとことで言えば、ずっと田舎であって駅をちょっと離れればもう山の中だ。ネリーに抱えられてはるか上空まで行っても、見渡す限り仄暗い夜空を背景に山並みしか見えないというその景色は、人外境のようで美しいと言えば美しかった。怖いと言えば怖かったけど。もちろんネリーは森のエキスパートだから、そんな真っ暗な中でもどこが危なくてどこが安全ということを知り抜いていた。ネリーの案内で、僕は深い深い山の中で遊ぶことができた。ちょっと前まで、日本の夜ってこんな感じだったんだろうな、という暗闇が実は居心地のいい場所だということを、このころ僕は身をもって学んでいた。
何ヶ月かぶりに、僕は楽しかった。
13
僕は毎日出かけては、ネリーと一緒に飛び回っていた。僕が住む県は南北に長くて、その真ん中辺りに大幹線が東西に通っている。こういう構造のため、南北の行き交いは極めて面倒くさく、そのため北も南も今ひとつ発展してないところが多い。つまり言い換えれば、その気になれば森ばかりだ。空の高いところから、いかに自分が小さいところで生きることを強いられているか、僕はますます実感するようになっていた。
小腹が空いたら、僕たちは一緒におやつを買って食べていた。1回だけ、僕は自販機でビールを買って飲もうとしたことがある。シュワシュワという音を聞いて、僕が口に持って行こうとした缶を押さえてネリーは首を横に振った。大丈夫なんだよ、僕はこれを昔から飲んでるし、そう言っても、ネリーは頑なに首を振り続けた。だから僕は、このころ唯一信じられる仲間だったネリーの言葉(というかジェスチャー)を信じて飲まずに缶をゴミ箱に捨てた。僕はタバコには興味ないので、買うつもりはなかった。そうなるとあとはお菓子とジュース。試しに果汁100%ジュースを買ってネリーに飲ませてみたら、それはネリーにとっても美味しかったらしい。
そんな中、父は相変わらず転職を繰り返していた。やっぱり、フルコミッションの営業の仕事ばかり。後々に、大学に行っている間に夕方からのバイトで同僚になった男の口からいろんなことを聞かされて知ることになるんだけど、フルコミの営業をしている会社の営業要員っていうのは、ほとんどが学歴不問・職歴不問・賞罰歴不問だから、一歩間違えれば手に輪っかが嵌まってもおかしくないことを平気でできる連中が集まるところらしい。
そんなわけだから、僕は毎日楽しい気分で家に帰っていて、ぐっすり眠っていて知らなかったが、ある日の真夜中、父がベロンベロンに酔っ払った状態で社用車の軽ワゴンを運転して帰ってきたらしい。社会人としてまともな給料を貰っていた時期はないに等しい父だから、車なんか自分で買ったことがない。車を所持していたのは、不要になった軽自動車を人から譲り受けて持っていた大昔のごくわずかの間だけだ。喜んで父は通勤に使い始めたが、ちょっと天候が悪かっただけで、案の定電柱に突っ込んで車をおシャカにした。
車の運転に対してはそのくらいの腕しかない父が、酔った状態で車を運転して帰ってきたとのことだった。家の脇に横付けすることにしたらしいが、タイヤを側溝に嵌めてしまった。ひとりじゃどうすることもできず、真夜中に何事かと隣の家の人が起きてきてくれて、その人が持っている大型車で牽引してくれて、なんとか脱出することができた。そしてお礼を言って隣の家の人にも休んでもらったわけだが、その間通して父は完全に酔い酔い状態、真夜中にもかかわらず大きな声でゲラゲラ笑いながら、隣の家のご主人の両手を握って命の恩人だとかなんとか言って、そしてまたゲラゲラ、家に入ると風呂にも入らずに眠ってしまったらしい。
この件が理由のバトルは長かった。2週間ぐらいは続いたんじゃないか。母は繰り返しもうそんなことはするなと言っており、そもそも何でそんなことをしたのかと問い詰めた。父の言葉をそのまま使うなら「チャンスだったから」らしい。もういい年で、しかも冴えない小男で、たぶん営業成績も芳しくなかっただろうから、ならず者が集まるフルコミ営業の職場では馬鹿にされまくっていたんだろうと思う。それで、僕の想像だけど会社の人たちと飲み会があって、そこで「酔ったら車の運転すらできないのか」的な挑発を受けたんだと思う。そして、考えの浅い父は、ここで見事車を運転して見せたら、周りの目も変わると考えて、車で帰ってきたんだろう。
この街の人間に馬鹿にされ慣れた僕が、馬鹿にされの先輩として言わせてもらう。そんなことをしたって、その相手は「アホや。ほんまにやりよった」とさらに指さして楽しそうに笑うだけだ。せいぜい馬鹿にされるがいいさ。僕が馬鹿にされる理由は僕自身にはなにもないのに対して、あなたは能力もないくせに西日本営業所を任せるなんて甘言に騙されて転職して引っ越しまでして、さらに家まで買ってしまって、そしてゴミのように捨てられた正真正銘の馬鹿なんだから。さらに、一家が無収入になっても少しでもなんとかするために朝早く起きて新聞を配ろうとかその程度のことも考えられないいい加減な男なんだから。何だったら、僕の「馬鹿にされ権」を全部お譲りしても構わないよ?
母は何度も何度も、もうそんなことはしてくれるな、そんなことをしなければいけない職場なんだったら転職してくれと父に迫った。だけど父はその会社の異常さをまだ本当には飲み込めていなかったようで、うるさい母に車を運転しているところを見せないためだけに、ちょっと離れたところに路駐して家に帰ってきていた。
ある休みの日、僕ら家族は全員家にいて、僕はひとりで音楽を聴いていた。その時、ドアの外から両親の大声でのやりとりが聞こえてきた。「転職して」「そんなこと言うけど仕事なんかないんだぞ」みたいなやりとりからスタートしたが、ふたりとも段々と激昂して行くのがわかった。そしてドスンドスン、ガターン、ボス、ボスという大きな音が響き渡った。ただならぬことが起きているのは、誰にでもわかった。ドスンドスンというのは母を壁際に押し込んで父が母の顔にパンチを見舞った音、ガターンというのはそのパンチで母が倒れた音、そしてしばらくおいて聞こえてきたボス、ボスというのは、いったんは立ち去りかけた父がそれでも怒りをこらえきれずに戻ってきて、倒れている母のお腹に2発の蹴りを入れた音だった。父はその後、手持ちのお金を全部持って出ていった。
「……ゴメン、今日だけは、ご飯自分でなんとかしてくれるか?」
顔に痣を作って、お腹を押さえて若干体を折って母は僕にそう言って、自分の財布の中身を確認したら、そのままつらそうに出ていった。数時間後、母が一番頼りにしているお姉さんである、上から2番目の伯母さんから電話が入った。その伯母さんからの電話で、僕はさっきのドスンドスン、ガターン、ボス、ボスの意味を知ることになった。僕がそれを知ったあと、父は一杯機嫌で鼻歌を歌いながら帰ってきて、そのまま寝てしまった。正直、僕は両親に、と言うかもう「この人たちに」と表現したくなるレベルで関わりたくなかった。だから、父のことは放っておいて、何事もないように自分の食事を作って、ネリーと食べてそして眠りについた。
このときばかりは母は本気で離婚を考えたらしい。1週間ほど母は帰ってこなかった。父はそのことを心配するどころか、うるさい監視役がいないとばかりに毎日ずいぶん早く仕事から帰ってきて、僕が塾から(本当は塾じゃないんだけど)帰ってくるまで飲んだくれていた。そして、僕が帰るとご機嫌で「頼れる板さんが帰ってきた」と言って、僕に肴の調理を要求した。
父はお腹が弱い。ちょっと飲み過ぎたり、冷えたり、冷たい物を飲んだりしたら、すぐにお腹を下す。特に飲み過ぎで下したときには、しばしば潰れて寝ている間に下痢便を漏らす。そうなったときには、雑巾を洗ったりする流しで軽く洗ってからではあったが、父は自分が脱いだ物を洗濯機に放り込むだけで、それ以上のことを一切しようとはしなかった。これ、洗うの誰?どう考えても僕しかいない。家中がウンコ臭くなっている中、僕は汚れた服を洗って干した。ウンコの臭いなんて、そう簡単に取れるわけがない。なんで僕は人生で一番キラキラしているはずの中学生時代を、父の下(シモ)の世話をして、学校でそして塾で(行ってなかったけどさ)馬鹿にされて生きなければいけないのだろう?もういっそ、死にたかった。
唯一、僕が本当に何もかも忘れていられる時間が、ネリーと一緒に空を飛んでいる時間だった。このころ、僕はネリーにかなりアクロバティックなことを要求した。僕の手だけを持って飛んでくれとか、さらにそのまま空中で大旋回してくれとか。今から考えれば、ネリーにはずいぶん酷な要求をしてたように思う。だけど、そうやって一歩間違えれば死ぬぐらいのスリルでないと僕はもう何もかも忘れることはできなかったし、仮に死んだとしても僕にはこの世に何の未練もなかった。
母は、伯母さんから「とりあえずもう一度だけ、最後のチャンスをあげるつもりでもう一度だけ話し合うてみたらどうや」と勧められて、家に戻ってきた。しかしすぐには父と話し合う気になれず、また父の方から母になんのアクションがあるわけでもなく、僕の家の中は目に見えない「父母国境」が常にある状態だった。そうなると、両方を行き来して伝令の役目をするのが結局僕しかいない。僕は母から「自分がしたことについてどう思っているのか」を父にたずねる役目をして欲しいと頼まれていた。
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