「だったら、それに向けての最初の勝負が、この受験だな」
うすうす思ってはいたが、塾に行けと言いたいんだろうな。
「このあいだ見学に行っていた塾、どうだった?」
塾長がすごく嫌なやつだと感じた、と、僕はなぜこのとき素直に言わなかったのだろうか。なんだか曖昧に、そこそこにごまかしてしまった。とにかく、このころは親の言うとおりにしないとあっという間に僕は人間の干物になるしかなかったから、親に対してハッキリとノーを言わないのが染みついていたんだろう。
「俺としては、その塾に行け、って言いたいんだよね」
なんだこの曖昧な命令は。いや、理由はわかってる。自分の頭で考えて、自分で責任を負うつもりで、僕に父親としての命令を出しているのではないからだ。裏で母に空気を入れられて、こう言いなさいと言われたとおりに言っているだけだ。昔から、父の言うことは全てそうだった。だけど、言い換えればそれは背後に母がついていて、塾に行かせたがっているということだ。僕はまたしても、曖昧に答えるという失敗をしてしまった。
案の定、母は僕たちが風呂から上がってくるのを待ち構えていた。
「お父さんから、話聞いたか?」
「聞いたよ」
「塾、行くか?」
「でも、帰りどうするんだよ」
「帰れへんかったら、伯母ちゃんが泊めてくれるて言うてはる」
つまりあれか、外堀は完全に埋めて「行く」としか言えないようにしてから、話をしてきたっていうわけか。「行け」って命じたいんなら、僕は母が母の命令として言えばいいと思う。だが母は「一家の長は父」という形式にやたらにこだわり、普段頼りない父のことを糞味噌に言うことだって少なくないくせに、こういうときには父に命令を出させてそれを後ろから操っている。考えてみれば、こうやって「権威」と「判断権」を分離させていることは、子供の手足を縛り上げても自分は泥をかぶらなくていい、母にとっては実に都合のいいあり方だな。
「……正直、行きたくない」
「でもまぁ、行ってみたらええやん。合わへんかったらやめたらええんやし」
そこまで言われてしまったら、僕には返す言葉がなかった。
「入塾手続き、取るな」
「……わかった」
そういうわけで、僕はその塾に通うことになった。電車に乗ってから、2駅。僕は本当に本当に逃げたかった。
行ってみたら、やっぱり塾長は嫌な人間だった。塾の席は、成績のいい者が前の方に、悪い人間は後ろの方に決められていた。入塾テストの成績で、僕はかなり後ろの方に座らされていた。机と机の間は50センチ程度しかなく、座っている間中ずっと息苦しかった。
そして僕は、徹底的に嘲笑の対象にされた。この塾長の教育方針だ。成績の悪い者は嘲笑の対象にすることにより、その他の者に危機感を植え付けてやる気を出させる。そしてまた、新入りはとりあえず貶めてみて、それでも食らいついてくるかどうかでやる気を判断するというタイプでもあった。
僕の住む市は、県庁所在地の南隣にあり、急速に宅地化したのはここ最近だが、ある程度の大きさの街として歴史が古い。一方、さらにその南隣にある、僕の従弟の家やこの塾があるこの市は、歴史的にみれば未開の地で、高度経済成長のころに県庁所在地に通勤するサラリーマンのための住宅地として開けたので、根っこは県庁所在地にあり、それゆえに優秀な人が集まっているのだそうだ。僕の住む市は、県庁所在地に住めなかった卑民の街として千年以上の歴史があり、そこに住む人間が優秀なはずがないのだそうだ。その証拠に、この市の中心街は便利のいい私鉄駅が中心に発達しており、僕の住む市は街の中心が2両編成のローカル線が一番近いようにできている。日本の発展から捨てられた街なのだそうだ。
(……僕は、その市の住人じゃない)
そう叫びたかった。いまから思えば、叫べば良かったと思う。でも、できなかった。なぜなのかは、今となってはよくわからない。
僕は、母に改めて言った。
「やっぱり、あの塾、行きたくない」
「なに言うてるの、あんた。そんなこと言うて行く高校あらへんかったらどうするの」
何度も言うようだが、このときの僕自身に「中学出たら職人になれ」とアドバイスできたらどんなにいいだろうと思う。だが、僕はこのときまだ高校、大学、大学院と学問を究めていきたいという未来しか思い描くことができなかった。
「勉強のしかただったら、他にもあると思う。あのやり方には、僕はついて行けない」
「そんなこと言うてたら行くとこないえ?」
この県では、公立高校のレベルが著しく落ちた一時期がある。私立の進学クラスがそこで一気に力を伸ばした。それを受けて、このころには公立高校にも実質的に進学クラス相当のものがあった。だから、僕は公立でもいいと思っていた。だが、中学の進路指導でも優秀なら私立の進学クラスに行った方がいいという方針だったし、公立でもいいと主張するには決定的な材料が欠けていた。
「勉強なら、他の方法でする」
「あかん。他の方法って何やのん。あの塾に行きなさい」
「でも、合わなかったらやめていいって言ったじゃないか!」
「そんな、嘘ついたらあかん!!」
僕はこのとき、腹が立ったと言うより呆気にとられた。ほんの数日前、ここで、その口で、合わへんかったらやめたらええって言ったじゃないか。
朝で学校に出なければいけなかったから、僕は家を出た。でも僕は考えれば考えるほど腹が立って、家の外から大きな声で叫んだ。
「バカヤロウ!」
家の前で通勤通学のバスを待っている人たちが、びっくりしてこっちを見た。しかし僕のできる抵抗はこれだけだった。結局は、塾に行くことを選ぶしかなかった。
塾では、相変わらず僕は嘲笑の対象だった。後ろの方に座っている僕を、前の方に座っている塾生たちがチラ見しては目を合わせて含み笑いをしている。このころ入塾希望者が重なったようで、僕の前にいる連中はどんどん増えていた。そして、僕をチラ見しては、お互いの目を合わせて含み笑いをしていた。
どんな文章だか忘れたが、英語の授業だ。こんなこともあった。
「じゃあ、ここ訳してみて」
と塾長に指名された僕は、1文がどうしてもわからなかった。
「すみません、ここわかりませんでした」
「ああ、これね。『これはこれこれだい!』って訳してごらん」
「これはこれこれです」
「はは、気ぃつきよった」
塾長はそう言って、一番前の席に座っている塾生と一緒に僕を見てひとしきり笑った。ほとんどの科目が塾長の担当だったが、理科だけは違った。丸顔のおじさんが担当していたが、この人は比較的生徒に区別をつけなかった。だが、完全な根性論者で、成績を上げるにはには目から血が出るまで睡眠時間を削って勉強するのが唯一の方法と繰り返し僕ら塾生に刷り込んだ。
実際に授業が延び、家に帰れずに伯母さんの家に泊まることもあった。そういうことがあったら塾の「できる連中」はこれ幸いと僕をからかいに来た。
「お前、昨日帰れへんかったんちゃうん?どないしてん」
「この近所に、親戚の家があるからそこに泊まって、朝一の電車で帰った」
「マジか!ウケるわ~こいつ朝帰りしとんねん。やらしいことしてたんけ?」
そいつがそう言うと、周囲の塾生がわっと笑った。
こんなので、本当に成績が伸びると思ってるのか?勉強が嫌いになる効果しかないだろうこんなの。しかし母は「塾長は信念のある教育者」だと思い込んでいた。まったく、騙しやすい人間だ。塾生を伸ばすために、スケープゴートを必要としていたであろう塾長にとっては、大して成績が良くない子供を通わせようとしている母みたいな存在はまさにいいカモだっただろう。僕はこのころ毎日のように部屋で悔し泣きをしていた。ネリーに話しかける言葉も、いつしか愚痴ばかりになっていた。
コメントを残す