僕はお小遣いからCDラジカセを買いたいと、親に訴えた。CDというのは何なのか、母には全く見当がつかないらしかった。なんだかわからないものはとりあえず「怪しい」と考えるのが僕の母の特徴だ。前にも言ったが「正常」の範囲が時代ズレしてる上に極めて狭いからだ。そして父は、自分自身は子育てに関して何のポリシーも持たないので、母がOK出さないのだったら父は首を縦に振るはずがない。いろんな方面から説明を試みたが、ごく簡単に言えば「最新型のレコードプレーヤーだよ!」と言ってようやく理解を得た。母が高校時代に修学旅行に手巻き式のレコードプレーヤーを持って来た友達がいて、その子が持って来たレコードに合わせて夜中に盆踊りを踊って「早く寝ろ」と先生に叱られた経験が母にはあるらしい。それに引き合わせてやっと理解ができたらしかった。
ここまで疑り深いくせに、詐欺にはコロッと引っかかるのだからいったい何のために疑っているのやら。いや、逆にそういう性格だからこそ騙しやすいのかもな。雑談に見せかけながら修学旅行に話を持っていき、この夜中の盆踊りの話が出たところで「いいですねえ。私もやりましたよ」などと言って踊って見せれば、母は「この人は自分と近い人」と考えあっという間に全幅の信頼を置いてしまうだろう。詐欺師の皆様、ネギ背負った鴨がここにいますよ。
ともあれ、僕は持ち運びを全く考慮しない、ラジカセとしては大きすぎるぐらいの品をお小遣いをはたいて購入し、自室で音楽を楽しむことができるようになった。このとき、ナイトメアズ・イン・ワックスはもう買ってあった日本限定アルバムも含めて4枚のアルバムを出していた。これらのアルバムをすべて買い、そこからもいろんな知識を得た。
そんなあれこれを話せる相手がひとりだけいる。言うまでもなくネリーのことだ。僕の狭い部屋にいると、もはや型に押し込まれた紙粘土みたいな状態だったが、ネリーは僕の話をよく聞いてくれ、音楽にも一緒にノッてくれた。僕はどんどんナイトメアズ・イン・ワックスに魅せられるようになっていて、そしてそんな彼らを生み出した異郷の土地イギリスへも憧れを募らせるようになっていた。
この市で「中央図書館」と呼ばれている図書館がある。昔はなかったそうだが、この辺りが大規模に造成されてあちこちに新興住宅地ができはじめたころ、その中に設けられた市の文化センターの中だ。僕の家がある住宅地からは直線距離で言うと一番近いところにある住宅地なんだが、Yの字型に分れている山越えの道沿いを開発して作られた宅地同士だから、僕の家からはいったん宅地の入り口に当たるところまで下りて、そこからまた上り坂を延々行ったところにその建物はあった。そのとおりに行くと遠回りになるので、僕たちは山越えで図書館に行くようになっていた。僕の家と文化センターを隔てる森に、人目を潜って入り込む。年末の夜に家の庭で一緒に星を見上げて以来、僕らは少し大胆になっていた。
森にさえ入ってしまえば、そこはネリーのひとり舞台だ。家の中にいるときよりもはるかに自由にはるかに素早く行動する。森の中だから、気象状況によっては土がぬかるんでいる場合も当然ある。どうやってそういう情報を得ているのか全くわからなかったが、ネリーは森の中をもっとも安全に行ける道そのものになってくれた。そしてネリーを森の中に隠したまま僕は図書館に行き、イギリスに関する本を借りてきた。その間に、ネリーはちゃんと森の中にその日の「秘密基地」を見つけておいてくれた。その森の中で、その日一番安全でくつろげる場所。時には、おやつまでついていた。食べられる木の実がある場合、ネリーはそこを用意しておいてくれたのだ。そこで僕たちは肩を寄せ合うようにイギリスに関する本を読んで、僕がいろんなことを言うとネリーは一生懸命聞いてくれた。そんなことをしながらやっぱり早川さんのことを思い出さなかったわけではないけど、以前みたいに寂しくてどうしようもないという気分にはならなかった。なりたい職業という意味ではないけれど、僕はふたつめの夢を見つけた。イギリスに行ってみたい。できれば旅行じゃなくて、ある程度の期間そこに根ざして生活してみたい。これを早川さんに伝えたら何と言うかな。あの娘のことだから、きっと何か、思いも寄らない方向から茶化してくると思う。そのときのあの娘のいたずらっぽい笑いも、まるで本当に目の前にいるみたいにありありと想像できた。そんな考えも僕は全部ネリーに話した。
もうすぐ、1年になるんだな。
ちょうどそのころ、CDをダビングしてくれる従弟のお母さん、僕から見て伯母さんからうちの母にひとつの連絡が入っていた。
「あんた、来年の今ごろは受験やな」
ある日、母はそう切り出してきた。
「こんな塾があって、ええらしいんやけど、一度話だけなと聞きに行って見ぃひんか?」
手作り感ありありのそのチラシには「名聖舎」という塾の名前と、その塾長のプロフィールが書いてあった。それには塾長の出身大学は「名古屋大学(旧・名古屋帝国大学)」とあった。帝国大学の時代に通っていたわけでもないだろうに、わざわざ旧帝国大学を入れている。その時点で僕はもういけ好かない感じを持っていた。
12
伯母がどういうわけか見つけてきたその塾に行くには、最寄り駅から2駅電車に乗る必要がある。つまり、その伯母や感じのいい従弟が住んでいるのも、実は電車で2駅行かなければいけないところで、市から言っても隣の市ということになる。
僕の家の最寄りを走る路線は、このころはまだ1時間に2本、2両編成で各駅停車の列車がコトコトと走るだけのローカル線だった。この県と南の県の県庁所在地を結ぶJRでは唯一の路線だが、並行して走る私鉄にこの2地点間の旅客移動の9割以上を持って行かれており、この辺りでは都会人はその私鉄を使う、JRのこの路線は田舎者と言われて蔑みの対象だった。
僕と母は、あらかじめ電話をしてその塾に話を聞きに行った。場所はボロボロの民家で、畳敷きの狭い部屋にホワイトボードを設置し、折りたたみ式の一番安い事務机とパイプ椅子を詰め込めるだけ詰め込んだような部屋だった。授業は既に終わっていて、部屋には3人だけの状態で話をすることになった。
塾長は、笑顔ひとつ浮かべない、冷たい感じの人だった。僕は話をしたくなかったが、母は熱心に話を聞いていた。
「君は、いま何が好きですか?」
このとき、どうやら塾長は「何の科目が好きか」を聞いたつもりだったらしい。だが、僕は「いまやっていて楽しいこと」を聞かれたと思い、
「音楽を聴くことです」
と答えた。
塾長はわずかに眉間に皺を寄せたが、即答で
「それはやめて下さい」
とだけ言った。そしてその後はまた母と話し込んでいた。塾長は、母に「どの高校に進学させることをお考えですか」というようなことを訊いていた。母は、県庁所在地の市内にある、ある公立高校の名前を挙げた。母が自身高校生だったころ、その公立高校は「いい学校」として一目置かれる学校だったという理由だった。塾長はただ「ああ、越境通学ですね」としか言わなかった。このとき(このオバハン、何も知らんな)という確信が、塾長の中にあったことは間違いないと思う。そういう一瞬の、相手が自分をなめた雰囲気を感じ取ることに敏感になっていた。まさに、鴨すきが大好きな人間の前で、ネギ背負った鴨が自分自身と息子を「食べて下さい」とアピールした瞬間だったろう。
このあと、僕は一切口をきくことなく、その日の「見学会」は終わった。問題と言うか、僕にとっては希望がひとつあった。もしこの塾に通うとして、ちょっとでも授業が延びたら家に帰る最終便に乗ることが極めて難しかったことだ。
ある日曜日、僕は珍しく父に一緒に入浴を誘われた。父は、学校は楽しいかとか、友達はいるのかとか、本当は全く興味を持ってないことをいくつか訊いてきた。
「将来は、何かなりたいものとかあるのか?」
父はそう訊いてきた。以前から、僕は将来学者になることを夢見ているのは知っているはずだ。だから僕はそのとおりに答えた。
もし、魔法使いが現れて、望みを一度だけ叶えてやる、と言われたなら、僕がお願いしたいのが「このときの僕自身にアドバイスをするチャンスを下さい」だ。僕はできるんならこのころの自分に、幸せになりたいなら中学を出たらどこかの職人に弟子入りでもして家を出なさい、とアドバイスしたいと思う。その方がはるかに幸せになれるし、人間的にも立派な人間になれるよ、と伝えたい。
コメントを残す