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 こっちに引っ越してきて以来、ほとんど楽しいことがなかった長い長い日々も、ようやく1年に届こうとしていた。父は相変わらず職を転々としていたが、生活が苦しく母がそれを祖母に訴えたところ、昼間仕事して夜手伝いに来いと言われた。独身の時、経理の経験が長かった母は割と簡単に事務の仕事を見つけてきた。職場はどぶ川沿いの掘っ立て小屋という仕事ではあったけど。
 このころ、家の経済はますますピンチなのは何も言われなくてもわかった。まず母が、牛乳だって安くないのだから冷やしたお茶を飲みなさい、と言うようになった。牛乳を常に用意しておくことが意地だった母が、その牛乳をケチるようになってきたわけだ。
 そして、僕だって服を毎日着ていればその服は当然傷んでくる。だが、買ってもらえることは一切なかった。電車で行けば1時間そこそこで行ける範囲に、母の兄弟姉妹がいて、だから僕の従兄弟たちが近所には数多い。従兄弟の中では僕は下の方の年齢で、つまり年上の従兄がかなりたくさんいることになる。僕は電車賃を渡されて、そういう親戚を回ってお古を貰ってきなさいと言われた。
 一応、そういうことだから古いのがあったら分けてやって、と事前に連絡をしておいてはくれたが、こんにちは服下さい、ありがとうございますさようなら、で済むような親戚ではない。手土産を持って行く必要なんかはないにせよ、しばらくはその家にお邪魔して「いい甥っ子」を演じて見せなければ、教育がなってないと陰で言われて母が恥をかくという、母の兄弟姉妹はそういう関係なのだ。母は兄弟姉妹に自分のへまを指摘される、母の表現を使えば「ドンを突かれる」ことを何より嫌う。それを避けるためだったら自分が嫌な思いをすることは我慢するのが正しいと思っているのが僕の両親だ。要するに僕は愛想笑いを浮かべて「どうぞよかったら恵んでやって下せぇませんか」と乞食をやってこいと言われたわけだ。
 そんな中でも、一番気位が高くて、ある意味一番この街らしい伯母さんの家には、僕より4歳上のお兄さんがいる。そこはお父さん(つまり僕から見て伯父さん)が長身だからだろう、ずんぐりむっくりな伯母さん以外は全員背が高くてすらっとしている。成長期の僕にちょうどいいだろうと言われ、お兄さんのお下がりを貰いに行った。それなりに、うまく相手をして適当なところで帰ってきたように思う。だが、遅く帰ってきてその時間にお礼の電話を改めて入れた母は「帰ったらすぐに帰りましたって電話ささなあかんえ」と見事に「ドンを突かれた」らしい。その夜、僕はまた母から叱責という名の罵倒を浴びることになった。
 そういうわけで着るものがないというわびしい事態はとりあえず回避することができたわけだが、数年前の最先端だ。ハッキリ言って、ダサい。僕はますます家を出るのが嫌になった。
 そんな日々を過ごす中で、僕はある日テレビで衝撃に出会った。別に誰を目的ともしないで、なんとなく音楽番組を見ていたときのことだ。世界中でヒットしている曲を歌っているバンドが、イギリスから「外国からのゲスト」として招かれていて、いくらかの会話を通訳を介して司会者と行った後、パフォーマンスを披露した。
 ヴォーカルはすらりとした男だったが、敢えてごつい服を着て大きく見せていた。端整な顔立ちに長髪、体つきからは想像もできない野太い声で歌いながら、ダンサーとともに彼はとんでもなく「いかがわしい」パフォーマンスをして見せた。
 僕にはない、僕が憧れているものが全てそこにあった。美貌、カリスマ、既成の秩序を蹴っ飛ばすだけのエネルギー。僕はあっという間に夢中になった。バンド名はナイトメアズ・イン・ワックス。直訳すると「蝋の中の悪夢」と訳すしかないが、動作主体にとっての「意のままに操れるもの」を象徴するのがこのワックスという物質だ。また、動詞としては「月が満ちる」という意味もある。月というのは、英語圏では「狂気」を強く示唆する言葉でもある。また、イギリス英語の俗語では、名詞として「突発的な怒り」ということも意味する。わずか3単語のバンド名に、これだけのいろいろな含みを持たせる言語センス。彼は天才ではなかろうか。
 僕は翌日には一番近所のレンタルビデオ・CD屋の会員カードを作り、ナイトメアズ・イン・ワックスのCDを借りていた。一番最近のものということで借りたのが、彼らの来日公演を記念して日本ライブツアーに日本限定先行発売でぶつけてきたCDだった。それを借りてきて聴きながら、僕はそのCDについている解説冊子を読んだ。彼の名前は、ティム・オニール。ときめいた相手がいたら、すぐに行動に移すタイプで、その相手が美しいと思ったら彼の前では相手が男性であるか女性であるかはどうでもいいことだそうだ。ますます自由奔放で、そしていかがわしい。何より、そこに載っていた写真は、女性の中に混ぜてもトップクラスに余裕で入るだろうというぐらいに美しかった。僕は返すときにレンタル店のお兄さんにCDを買うならどこがいいかと質問した。外国の音楽が好きならということで、お兄さんは輸入CDを扱う店を教えてくれた。それは電車で街中まで出なければいけないところにあったが、僕はもうそんなことなどものともしないレベルにまで熱くなっていた。
 よく考えたら、このCDは日本限定発売で、輸入CDの専門店に行っても売っているはずはなかった。だから、最終的には帰るときに電車に乗るターミナル駅の駅ビルで買ったんだが、そこまで行ったことは無駄ではなかった。そのCD販売チェーンの本国アメリカで発行されているものをそのまま持って来ているだけでもちろん英語だったが、PR誌がフリーペーパーとして置かれていて、それがナイトメアズ・イン・ワックス特集だったのだ。
 辞書と首っ引きにしながら、僕はティムについていろんなことを知った。フルネームはティモシー・ジョゼッピ・オニール。オニールというのはアイルランド系の名前で、つまりそれはイングランドの中では少数派であることを意味する。ジョゼッピというあまり耳慣れないミドルネームは、彼のお母さんがユダヤ系ドイツ人であることによるものだそうだ。
 彼は第2次大戦中に、ユダヤ人という理由でドイツ国内では迫害されていたためオーストリアに逃げていた母親を、そこに出征したイギリス軍の軍人であった父親が見初めて、自分の街リヴァプールに連れて帰って結婚したことによって誕生した。そこで結婚生活を送るティムの両親だったが、英語の話せない全くのよそ者でユダヤ人ということで、お母さんは孤立したらしい。お母さんはアルコールに溺れてしまい、勤勉な労働者であったお父さんはそれが許せずに家庭放棄状態だった。そういうわけで、上の子供、お兄さんだそうだが、それから11歳も離れてティムが誕生。気がつけばティムは幼いころからお母さんに食料や生活物資を届ける役目を引き受けていた。だから子供のころはドイツ語の方が流暢だったそうだ。
 お兄さんの影響でビートルズなど自国のミュージシャンについて基礎は押さえていたティムだったが、あこがれの相手はアメリカの美人歌手や美人女優で、僕と同じぐらいの歳にはもう化粧をして、いろんな男女と浮き名を流して学校で孤立したそうだ。結局、14歳(!)で学校を中退してロンドンに出る。そして飛び込みで仕事を探し、美容院に職を得て働き始める。そして、そこでの先輩の女性のパンクなファッションに衝撃を受けて、自身そういうファッションに身を包むようになるとともに音楽活動を始める。だから、ティムのバンドは昔はパンクバンドとかゴシックロックバンドという位置づけだったそうだ。同時期にその先輩の女性と結婚。さらにバンドのドラムス担当のトム・カースとも同性愛関係にあり、3人でひとつのフラットに「夫婦夫」生活を送っているそうだ。
 英語を読むことにここまで本気を出せたのは生まれて初めてだったが、それよりも何よりもティムのこの自由奔放さ。飛び出すことばかり夢見ながら、結局は生きるために「カゴの中の鳥」を演じている僕とは正反対で、そして力強く思えた。ここまで力強く自分を貫いた結果、彼はイギリスのヒット曲請負人であるプロデューサートリオのサンズ/アディソン/ウィーヴァーに見いだされ、ダンスバンドとして大成功してこうして世界中を飛び回っている。意外に思ったが、見かけからパンクやゴシックロックを期待されていたためそっちの曲ばかり作って歌ってきたが、ティム自身は元からダンスバンド指向だったそうで、それを考えるとまさに夢を叶えて世界でスーパースターになったシンデレラボーイということになる。
 ティムの過去は、そのお母さんの過去も含めて僕の現在に重なって見えて、そしてティムの現在は僕がもう諦めかけていた自由を体現してくれているように思えた。
 CDを買ってはいたが、実は僕はこのときプレーヤーを持っていなかった。従弟の中では一番気の許せる、しかも家も近い子にテープにダビングしてもらっていた。