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ある日僕は、担任であり国語担当のオバチャン先生から、放課後残るように言われた。
放課後になり、空いている部屋が他になかったのか、僕は担任と美術準備室に入り、机を挟んで向かい合わせに座った。
「少し元気がないように見えるんやけど、虐められたりはしてへんな?」
まぁ、確かにそのときはまだ明確な「虐め」ではなかったと思うよ。僕も。
「ええ、大丈夫ですよ。そんなことありません」
「さっきん、5時間目の国語の時間、ちょっと顔色が悪いように思たんやけど、体の調子がおかしかったんか?」
「ああ、ええと……」
僕は言い訳を頭の中で探した。
「今日はちょっと、弁当が頼りなくて。ただお腹が減るんじゃなくて、血糖値が下がってるとき特有の冷や汗の出るような空腹感ってありますよね。そういう状態だったんです」
「ほんまか?それやったらええんやけど……いま、学校は楽しいか?」
この担任は、善意の塊のような人だ。みんなで明るく楽しく。それがモットーであるらしく、授業はやたらテンション高いし、しばしば冗談を言って生徒を笑わせている。だけど僕みたいな存在を生徒の輪の中に突っ込もうとする言動だけは本当にやめて欲しい。僕も、他の生徒たちも、それを望んでいないと思う。みんなで明るく楽しくなければいけないという思い込みで無理矢理仲良し感を醸成しようとするのは、僕にはありがた迷惑以外の何物でもなかった。
だがここでそのことを主張したところで、何十年とそのポリシーで教師生活を送ってきたこういう人には届くことはないだろうし、そういう考え方自体間違っていると説教を食らう可能性だって少なくないように思えた。だから僕は、精一杯の笑顔を作って答えた。
「心配いりませんって。僕は十分楽しくやってます」
「ほな、いま一番仲ええのは誰や?」
こう来るとは思わなかった。だが僕にだって想定外の攻撃に対してとっさに反応するぐらいの頭はある。
「一番って言われたら難しいですけど、徳山くんとか、野川くんとか、黒崎くんだと思います」
この3人がとっさに思い浮かんだのは、この3人がもっとも頻繁に「珍獣をつついてその反応を見て嗤う」行動をする3人だったからだ。僕に話しかけて笑っている彼らの行動は、端から見れば会話を楽しんでいる仲良しのように見えなくもないだろう。
「そうか。ほなら、私からももっと仲良くしてくれるようにその3人に言うておくわな」
お好きにどうぞ。何があったところで、僕の立場は悪くなりこそすれ良くなることはあり得ない。だから僕を早く解放してくれ。僕にとっての本当の友達、ネリーのところへ早く帰してくれ。正直イライラしてたが、僕はその後しばらく顔をにこやかに保ちながら、偽りの「楽しい中学校生活」について話をした。帰り道、僕は乏しいお小遣いを銀行から引き出して、炭酸飲料の大瓶を1本とスナック菓子をたくさん買った。憂さ晴らしに、母が僕にあまり食べさせたがらないものを、ネリーと一緒に楽しく食べたかったからだ。
このときネリーは、もう僕の身長と拳ひとつ分ぐらいしか違わなくなっていた。スナック菓子を食べる早さも尋常ではなかった。ああいうジャンクな食べ物の味というのはたまに食べるとすごく美味しい。ネリーは食べながら居間を走り回った。たぶん、美味しいと思ってくれたんだろう。僕もそういう行動を取る子供だったから。
炭酸飲料の方は、グラスに入っていて泡が出ていてピチピチと音をさせているのをしばらくじーっと、たぶん見ていたし聞いていたんだと思う。僕の促しで一気に口の中に流し込んだネリーは、びっくりしてのけぞった。首の辺りを押さえてしばらくもだえていた。その後、首を激しく横に振った。ダメだったんだな。僕が飲もうとしたときも、僕の手を押さえる仕草をして何回も首を横に振った。
「僕は慣れてるから、大丈夫なんだよ」
僕はネリーにそう言って、結局大瓶1本をほとんど自分で消費した。スナック菓子も炭酸飲料もなくなったら、僕は近所の公園に行ってそこのゴミ箱に捨てた。
その日以降、徳山、野川、黒崎を中心にクラスの連中の僕に対する態度が変わった。もちろん、悪い方に。
わかりやすいのは徳山だ。ハッキリ言ってこいつは野生の猿だ。僕の目の前まで寸止めのパンチを放っておいて、それに対する反応を見て「運動神経悪いな」などと僕を嘲った。文化祭の合唱コンクールに向けての練習を音楽の時間にやっているときも、ひとりだけひな壇に立たずに音楽室をうろつき回っていた。まずこの状況を許している教師が信じられない。そして徳山は、僕が持っている音楽の教科書を手から弾き飛ばして露骨に挑発してきた。
これには僕もさすがにキレてしまい、音楽の時間は普通に過ごしたがチャイムが鳴ると同時に徳山に殴りかかった。
「なんやコラ。いきってたらいてまうど」
徳山はそう言った。
「上等だよ、やってみろ」
僕はそう応じた。
僕らふたりはクラスの連中によって無理矢理引き剥がされ、次の授業の時間にまで食い込んで担任、音楽担当教師のふたりに事情聴取を受けることになった。
「そこで、上等だ、やってみろと言うたんやな。こんなことは、絶対言うたらあかん。もう、こんなことにはならんことにしぃや」
ふたりの教師からそう言われた。偽善者め。お前たちの考えていることは「どうやったら喧嘩にならないか」ではなく「どうやったら自分たちが喧嘩を止められなかったという失点をしないか」だろうが。違うというのならば質問があります。だったら僕はどうしたらよかったんですか?もちろん、口には出して言わなかった。とにかく、ネリーのために僕は「平穏無事な学校生活を送っている中学生」を演じなければいけないのだ。
その夜、徳山の母親から電話があった。徳山は母子家庭で、私がちゃんと躾けられなかったばかりに本当にごめんなさいと、お母さんは何度も謝った。僕はもう、そのときには演じる自分に戻っていた。こういうときにいい子を気取るための決め台詞がある。
「もういいんです。僕にも悪かったところがあると思いますし」
本当は糞味噌に罵ってやりたかったが、残念ながら罵倒用語に関してはこっちの方言の方がずっとボキャブラリーが豊富なんだな。
野川と黒崎はもっと陰湿だった。そのころ僕は教室で目の前がストーブの席に座っていたが、4つほど後ろが黒崎、その隣が野川だった。ふたりで授業中に話し合い、わざと後ろから机をちょっとづつ詰めてくるのが丸わかりだった。結局、僕は机をストーブに接して授業を受けることになったのだが、そのあと「あいつ真っ赤になっとんねん。アホちゃうか」などと、他のクラスの仲間とともに笑っていたのを僕が知らないとでも思っているのだろうか。
虐めたいなら、もっと正々堂々と虐めてみろ。僕を殴って蹴って傷や青あざを体中に作って、そして金を巻き上げろ。そんな度胸もないのか。内心そう思っていたが、全国的に見ても世間的なイメージが「上品」だとか「はんなり」だとかいう一方で「陰湿」というイメージもついて回るのがこの辺りだった。よそ者は、何十年住もうがよそ者なのがこの土地なんだ。僕がこの街を拒絶しているんじゃない、この街が僕を拒絶しているんだ。
年末になった。祖母の飲食店は観光名所の門前商店街の中にあるので、年末年始は終夜営業をしていた。当然、母はかり出されており、僕と父は年末年始を作り置きのおかずで過ごすことになった。世間的にも連日昼間から酒をあおることが許される数日間だ。父はここぞとばかりに強くてまずい安酒を用意して、連日酩酊状態だった。僕にとってはその方が都合が良かった。何と言っても、父が潰れている間にネリーと遊ぶ時間ができる。そしてまた、この数日間というのは朝起きて夜寝るという「正常な」生活リズムを保つことをやめても許される数日間でもある。さらに、割と簡単にエネルギーを摂れる食べ物、すなわち餅が大量にある期間でもある。
うちの家の居間に入るためのドアは、ちょっと大きく高さ2メートルに作ってある。しかし、このときネリーはもうそこに頭をぶつけるんじゃないかと思うくらい大きくなっていた。そして餅を食べさせている数日間で、明らかに背が高くなったのがわかった。
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