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同じことを言うのは2回目になるが、休みの日は嫌いだ。母は、祖母の飲食店を手伝っているので、定休日はないに等しい。だが、父はこのころ職を転々としていたとは言え、形式上は一応サラリーマンであり、土日祝は基本的に休みだった。
自分の無能のせいとは言え、年齢も高くて特に技能もない父はこのころフルコミッション制の営業の仕事にしかありつけず、だから売れずに転職を繰り返していた。業務用浄水器、学習教材、屋根瓦、住宅の外壁リフォーム……僕が思い出せるものだけでもこれくらいはあったはずだ。だから憂さを溜めていたらしく、休みの日には昼間から酒を呷ることも珍しくなかった。酔いが回ると上機嫌になったのが救いだろうか。これで酔ったら暴力を振るようなタイプだったら、僕は本当に父をぶち殺していても不思議はなかったと思う。
だが、それに母が噛みついた。そもそも、飲食店をやっている祖母は父の養母だ。にもかかわらず、父が全く音信不通なのを祖母が快く思っていないらしい。偉そうに、と僕なんかは思うが、今から考えたら生活費を「借りる」という形で祖母に頼っていて、ある程度義理を立てなきゃ仕方なかった部分もあったんではなかろうか。
また、その店のすぐ近くにある母の実家、そこで家業の店を切り盛りしている母の長兄にもたまに挨拶に行け、と母は言っていた。母は、最終的に生き残った兄弟姉妹は母を含めて男ふたり、女が5人だ。末の妹は結婚していないが、他は全部結婚している。女は結婚して名前が変わっている以上「家」的な考え方で言うともうそこの家の家族ではないと思うんだが、なぜか妹や弟は、配偶者がいる場合はその配偶者も含めて、この長兄のところに定期的に詣でるのが義務みたいな扱いになっていた。
そんなわけで、ある日曜日、僕は父と一緒に祖母の店と母の実家に行くことになった。電車乗らないといけないことからある程度の距離があることはわかってもらえると思うが、土産はいま僕の家があるところの名物がいいだろう、と父は言ってお菓子屋さんに行ってそれを1ケース買い、僕たちは電車に揺られた。
僕は本当に気乗りがしなかった。会いたくない人たちばかりだからだ。僕の頭はネリーのことでいっぱいだった。家にひとりでいる間、ネリーはどうやって過ごしているのだろう。どうにかして食べ物を与えなければいけないが、もし晩ご飯まで外で食べて帰ることになったら僕はネリーに食べ物を用意するきっかけがなくなる。そうなったら、いったいどうしたらいいんだろう?
ともあれ、僕たちは電車を降り、まず祖母の店に着いた。昼ご飯時まではまだちょっとある時間に着いたので、祖母と両親と僕とでとりとめもない会話をした。僕はハッキリと反感を持っていたが、それを表に出すとこの世の中に僕の居場所がなくなることぐらいは理解できた。だから僕は「可愛い孫」を演じた。僕ひとりだったら破滅しても構わないくらいの気分でいたが、このころの僕はネリーを守るためならばどんなことでもできる気がしていた。
昼時が近づいてお客さんが増え始めるタイミングで僕たちは店を後にして、母の実家に向かった。僕から見て伯父に当たるこの人も僕のことを可愛がってはくれる。そもそもそんなに忙しいわけではないこの店では、伯父は伯母に店番を任せて家の中で長々と僕たち親子と話し込む。その日は、父と酒の話で盛り上がっていた。監視役でもある伯母が店番をしていて家の中を見られないのをいいことに、最近見つけた飲み口のいい酒というのを出してきた。日本酒ではない。角瓶に入った洋酒だった。ということは、そこそこの度数があるもののはずだ。父と数回グラスをやったり取ったりしたら、伯父は僕にも「飲んでみるか?」と勧めてきた。
僕はそのころビール以上の酒を美味しいと思ったことがなく日本酒でもキツいと思っていたが、そのとき勧められたそれは、意外にも強いアルコール飲料特有の「これはキツい」感が全くなくさらりと喉を通り過ぎてしまった。お腹の中がほっこり温もって、軽くいい気分になった。なるほど、現実逃避にはいい道具かも知れない。
そこへ伯母が入ってきた。そして伯父は怒られていた。店が忙しくなってきたということで、僕らは店を後にした。そしてもう一度祖母の店に寄ると、完全に昼食の客がはけていないということもあり、帰るね、とだけ言って僕ら父子は帰路についた。
駅までの道すがら、特に話すこともないので黙っていたら、突然父がこう言った。
「だんだん、これが自分の街だなって思えてきただろ?」
卑怯者。父も母もそうだが、僕がこの街にいまだなじめていないのはどう考えてもわかっているはずだ。それは僕にはなんの責任もない。一方的に親の都合で行動した結果、僕は全く味方がいないいまの環境に置かれている。父も母もそうだが、そのことについて僕に対して申し訳ないという気は全くないのだろうか。そしてこうやってサブリミナル的に「なじんできた」を刷り込んで、僕をこの街の人間にしようというのか。僕にこの街が僕の街だと思って欲しかったら、まず「申し訳ないけど自分たちはお前のために用意できる環境としてこの街しか選べないんだ」と言って謝ることが先じゃないのか。だから、僕は何にも答えずに、ただ黙っていた。
僕たちは、来た道を逆にたどってまっすぐ家に戻った。よく考えてみれば、このころの父に「たまには外食するか」なんて甲斐性があったはずがない。増して外で一杯引っかけるなんてこのころは夢のまた夢だったはずだ。父の頭の中には、一刻も早く帰ってウィスキーをあおりたいということしかなかったと思う。
果たして、家に帰ったらそのとおりの成り行きになった。父は料理音痴だから、それはつまり僕が父の給仕役を務めなければいけないことを意味する。うんざりしたが、適当に酒の肴を用意して、機嫌良く応対してやるだけで父はグラスをぐいぐいと空け、完全にいいご機嫌になったところで勝手に寝てしまった。
僕はその時間を待って、ネリーに久しぶりにいろんなものを食べさせた。あとで訊かれても父が食べてしまったことにすればすむ。父はそもそも酒にだらしなく、もう一杯、もう半分などと言いながらだらだら飲んで、結局は潰れることが少なくないからだ。
高鼾の父を寝床に突っ込んで、僕とネリーはゆっくりと風呂に入って、一緒に牛乳を飲んで、そしていつものように眠りについた。結果的には、ネリーにちゃんとした食事をさせることができることになって、僕は嫌な思いをした甲斐があったと満足していた。
翌日起きてわかったことだが、そのあと父は母に叩き起こされ、いつものごとくバトルをしたらしい。理由は、父が選んだ祖母への手土産が、祖母が大の苦手にしている食べ物だったこと。気の強い祖母は怒りを母にぶつけたらしく、言い返せない鬱憤を母は持って帰ってきて父にぶつけたと、こういう次第だ。眠っててよかった。僕が一番嫌いなタイプの諍いだ。これで、この街を好きになれ?冗談も休み休み言って欲しい。
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