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ある日、学校から帰ると、テーブルの上にメモが残してあった。
「あんた、最近夜中にもの食べてるんか?そんなことしたらあかんよ。正常な人間の生活ではないよ。晩ご飯しっかり食べてもええから、夜中にもの食べるのはやめなさい」
僕は、ふう、と溜息をついた。たったこれだけの文章なのに、どうしてこんなに反発したいことを詰め込めるのだろう?正常な人間の生活?正常な中学生の生活を保証してからほざいてくれ。晩ご飯しっかり食べてもいい?いままで何回、これは何々にするつもりで買っておいたものなのに勝手に食べるなと僕をどやしつけた?
しかしこういうことを書いているということは、練り消しの存在には気付いてないということはわかる。おそらく「僕の友達は練り消しなんだ」と言って目の前に練り消しを出して見せても、あの「正常」の範囲が異常に狭い頭では理解はできないと思うが。
いずれにせよ、この「しっかり食べてもええから」という言葉を、冷蔵庫にあるものを好きに食べてもいいから、と解釈することはあまりにも危険だ。すると、僕にできることはご飯を多めに炊いて白ご飯で食欲だけを満足させるという、貧乏人ならではの食生活を送ることしかない。僕はいつもよりも2合多く米をといで炊飯器にかけた。おかずは何がいいだろう。見る限り、一番安そうなのは鶏のもも肉だった。だが、母の得意料理のひとつが鶏の照り焼きで、それにはいつももも肉を使う。冷蔵庫の野菜入れを見たら、ネギとかショウガとか、鶏の照り焼きに使いそうなものも入っていた。
冷蔵庫に入っていた鶏もも肉は2パック4枚。食べるにしても1枚だけにしておいた方がいいのだろう。だが、ネコほどに育っていた練り消しの食欲はこのころますます旺盛になっていて、とりあえず満腹させるだけでもかなり難しくなっていた。僕は2枚をホイル焼きにすることにした。1枚が僕の分、1枚が練り消しの分。
「さあ用意できたよ。お粗末なご飯だけど、これで食べよう」
そう言って僕はお皿を2枚、テーブルに並べた。
このころ、練り消しは食べ物を「手に持って食べる」という行動を既に覚えていた。ただ、細かくその行動を描写するなら、腕の先を食べ物にあてがうと、ニョキニョキとふたつの指状のものが伸びて、それで挟んで口に持っていくという状態だったので、箸、フォーク、スプーンなどの道具を使うレベルにはなかった。僕は自分の食事より先に、練り消しの分の鶏肉を細かく切り分けて、手に持っても熱くないように冷まし、そして練り消しの分のご飯をできる限り小さくおにぎりに丸めて、持ちやすいように味付け海苔で巻いてやった。僕は手が大きい。だからちょっと前まで巨大な三角おにぎりしか握ることができなかった。だが、このころには急速に小さなおにぎりを作る技術が身についた。これ自体は、練り消しのためだったことを考えると、特に嫌なことではない。
「お腹が膨れるってだけのものだけど、これで勘弁してくれよ」
僕はそう言って、自分の食事にもかかった。練り消しの食事風景を見ていると「おかずの味でご飯を食べる」という、日本人が普通にする食事のあり方を理解しているようだった。僕を見ていて覚えたのだろうか。この練り消しがそういう文化の出身なのだろうか。
「なあ、お前ってそもそもどこから来たどういう生き物なんだ?」
テーブルの上で胡座をかいて座っている練り消しに、僕はズバリ訊いてみた。練り消しは、まるでネコだましを食らったネコのようにきょとんとしていた。まるで僕の訊いていることが全く理解できないというような様子だった。もしかして、練り消し自身、自分がどういう生き物なのかわかっていないんじゃないだろうか?
「いや、なんでもない。悪かったね、変なこと訊いて」
僕はそう言って食事を続けながら話題を変えた。
「なあ……そういえば、お前ってまだ名前がないよな。そろそろ名前を決めようか」
僕がそう言うと、練り消しは食べかけていたおにぎりを慌てて飲み込んで、首を上下に激しく振った。
「そうか、名前なあ……生き物飼い始める度にネーミングセンスがないって言われてきたんだよな。あまりひねらずに行こうか」
そう言うと、やっぱり練り消しは首を縦に振った。
「……ネリー、で、いいか?」
僕がそう言うと、練り消しは立ち上がってバンザイをした。気に入ってもらえたことは間違いないらしい。
「じゃあ、早く食事終わらせて、とっととやることやって寝よう。あのふたりが帰ってこないうちに」
そう言って僕たちは食事を続けた。鶏もご飯も食べてしまってから、ネリーはまだちょっと物欲しそうにしていた。
「もっと何か食べたいんだろうな。だけどなネリー、もう食べられるものはご飯しかないんだよ。ご飯だけ食べられるか?」
ネリーは納得がいかない様子で、頭を左右に傾けていた。しかたがないので、僕は冷蔵庫の中、そして台所中をあさった。そうしたら、冷蔵庫横に置いてある棚からふりかけが見つかった。とりあえずこんなもので、ネリーの食欲をごまかせるだろうか。僕はご飯を1膳炊飯器から再びよそい、そこにふりかけをかけてご飯と混ぜ合わせ、そして同じように小さなおにぎりにしてみた。
「こんなものだけど、腹の足しぐらいにはならないか?」
ネリーはひとつ食べて、コクンとひとつ頷いて、食べ始めた。それも食べ終わると、ネリーのお腹は落ち着いたようだった。僕もそれなりに満腹したし、お茶でも飲もうかと思って気がついた。そういえばネリーが水を飲むのかどうか問題が未解決のまま残っている。いくらなんでもお茶は飲みそうに思えなかった。そうなると、ただの水?それもなんだか哀れな話だ。あとは冷蔵庫には牛乳ぐらいしかない。両親の語るところによると、僕は幼いこから大変な牛乳好きで、僕が記憶にないぐらいに幼いころから、牛乳をひとりで買いに行ったりしていたらしい。だから、牛乳だけは欠かさないように、というのが、母なりの愛情の示し方であるようだった。
でも、人間用の牛乳って、動物に与えたらまずいとかそういう噂も聞くよな。そもそもネリーは動物なのかどうか僕もわかっていなかったのだが、牛乳は飲めるのかどうか本人に訊くことにあまり意味があることとは思えなかった。ネコとかだって、人間用の牛乳を与えたら飲んでしまうそうだから。僕は覚悟を決めた。もし飲ませてネリーの体調が悪くなってきたようだったら、明日学校に出たふりをしてどこかに隠れていて、両親が両方とも出かけたあとを狙って帰ってきて看病をしよう。何を言われるかわかったもんではないが、いまや僕にとって何よりも大事なのはネリーだった。
マグカップに牛乳を満たしてやって、僕はネリーの前にそれを置いた。僕自身には別にお茶を淹れて飲んだ。牛乳の量は少しネリーには多かったようで、マグカップの底の方に牛乳が残っていた。僕は何気なくその牛乳を啜った。啜ってから思ったが、ペットを溺愛してる人だって、ペットに与えた飲み物の残りを器から直接飲んだりしないよな。僕にとってもう、溺愛している人にとってのペット以上のものになってるんだ。家族とか、親友?もし、いま僕が両親の飲み残した飲み物を飲めと言われたら躊躇するかも知れない。
風呂に入って、髪を乾かし、クローゼットに入っていくネリーにお休みを言ったあと、僕は両親が帰ってくる前に眠りに落ちた。
翌朝、いつもよりちょっとだけ早めに起きて、ネリーを起こした。
「ネリー、体の調子に悪いところはないか?」
ネリーは特段、変わった様子もなかった。
「よかった。じゃあ、いつも悪いけど、僕が帰ってくるまで天井裏に隠れていてくれるかな?なるべく早く、帰ってくるからさ」
ネリーはまた天井裏に忍んでいった。僕は弁当を持って、学校に行った。午前中の4限が終わって、弁当の時間になった。弁当の包みを開いたらメモが置かれていた。
「あんたが鶏肉を食べてしまったので、今日の予定していたおかずが作れませんでした。今日はこれで辛抱しなさい」
メモ用紙にはそう書いてあった。弁当箱を開けると、おかずは塩昆布と目玉焼き、そしてご飯の真ん中に埋め込まれた巨大な梅干しだけ、あとは全面にふりかけがかかったご飯だけが、弁当箱の大半を占めていた。転校前の中学は給食制だった。なんだか、僕を意のままに操るための道具をまたひとつ親に握られた気がして、その弁当を食べきるのは苦痛だった。
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