行ってみたら何のことはない、その道は途中でブツッと切られている状態だった。一応、住宅街の中を通る生活道路を通ってまた幹線道路に出る抜け道はあるようで、時々渋滞を避けた車が通ることはあったが、道の先は不法投棄された家電や自動車のバッテリーが散らばっている空間をしばらく抜けたら、もう完全に森だった。
 久しぶりの森を、練り消しはずいぶん喜んだ。道にすらなっていない木や草の間の隙間を、縦横無尽に練り消しは走り回った。練り消しのあとをついて行ったら、キノコが群生していた。それを腕で指し示しながら、練り消しは何かを訴えているようだった。これは食べられるよ、というようなことではないかと思う。僕は「さすがに自生しているキノコを食べるのは怖いな」と言ったが、そのときはなんとなく練り消しががっかりしているように見えた。
 その直後だ。練り消しは初めて空中を飛んだ。1メートルあまり飛び上がり、木の枝に乗って実を指し示した。これなら僕も知っている。グミだ。前の中学で剣道部だったとき、学校の周囲をランニングするコースがあったのだが、その道沿いの家の一軒が庭にこの木を植えていて、フェンスから大きくはみ出して鈴生りに生らせていたので、ランニングの途中に失敬して摘まんだものだ。
 摘まみ取って食べてみた。ランニングで失ったエネルギーと水分をほんのちょっとだけ補給してくれたあの実と同じ味がした。練り消しの分も、摘まみ取って渡した。
 練り消しが「食べる」シーンをハッキリ見たのもこのときが最初だ。頭の部分の大半が口のレベルで大口を開き、グミの実をあっという間に完食した。この体のどこにあれだけの容量が入るんだ?
 このときから、練り消しはずいぶん大食らいになった。家に帰ってきて、冷蔵庫を見て塩鯖をその夜のおかずにしたが、3分の1は練り消しに食べられてしまった。それでも僕は全然嫌じゃなかった。物足りなかった分は、卵かけご飯にしてお腹を満たした。他におかずにできるものはあったが、このころ時々母は「あれは何々を作る材料にする予定のものだった」を理由に僕をきつく罵倒したので、食べる品目はなるべく減らした方がいい。特に高そうな食材にはなるべく手を付けないのが僕の「生き抜くための知恵」だった。
 その夜、僕はこの辺一帯の地図を開いてみた。なるほど、川を境にこっち側が開発されていて向こう側が手つかずというわけではなく、学校や家があるこの辺り一帯がかろうじて人間の生活に耐えるレベルに開けただけで、周囲はまだほとんど森なんだ。外との連絡をする鉄道や道路は、森の中のなんとか平らなところに作られただけで、確かに沿線には家やなんかがあるが、それをちょっと離れればまだ空き地がたくさんあるんだな。
 風呂に入るときに、ジーパンの裾をだいぶ汚してしまっていることに気がついた。何か言われるかな。いいや、どうでも。洗濯機にそれを放り込んで例によって練り消しと入浴したあと、僕たちは眠りに入った。歯磨きをしたあとでも、グミの実のあの甘酸っぱ苦い味は、前の中学への郷愁とともにハッキリと舌の上によみがえった。

 なんだか、母の機嫌が良かった。
「あんた最近、友達できたんか?あのズボン、外で遊んだんやろ?」
 ああ、そうだよ、とだけ、僕は答えておいた。確かに友達ができたことには違いないからな。母が期待しているようなものとは違うんだろうけど。
 母は子供のころ元気に外で遊んだことがいまだに武勇伝で、外で遊ばない子供は異常、そういう考え方の持ち主だった。「嫁を取る男が家を持ってないのはおかしい」という発想からもわかると思うが「正常」の範囲が時代ズレしている上に極めて狭く、幼いころから「外で遊べ!」とヒステリックに怒鳴られたことは1回や2回ではない。僕は幼いころから家の中で本を読んでいるのが好きな子供で、母にはそういう子供は異常にしか見えなかったようだ。「このくらいの歳に外で遊べないような子供は、将来犯罪者になるに決まってる!」と言われたこともある。こういう、子供の人格を全否定することを平気で口にして、そしてコロッと忘れるのが僕の母だ。
 それでいてたまに外で遊んできたら、服を汚したと言ってそれはそれでヒステリックに怒鳴られたりもしたのだが、友達の件と服を汚した件、どちらが優先なのかな。そういう考えを僕は持っていたが、どうやら友達ができた件の方が優先らしかった。
「こんど、うちに連れてきてな」
 母はそう言っていた。いや、実はうちにいるんだけどね。たぶん、母が見たらその「あり得なさ」にびっくりして事態が飲み込めず固まってしまうんではないか。
「ああ、わかったよ」
 と答えておいた。口は災いの元。要らないことをしゃべったら情報を渡すことにもなりかねない。練り消しを守るために、完全に折れていた僕の心は強靱さを取り戻しつつあった。
 休みの日は嫌いだ。練り消しを外に出して遊ぶ時間が作れない。ポケットにでも入れて連れ出して外で遊べば、とも考えたが、そのとき既に練り消しはリスほどの大きさにまで育っていた。ポケットに入れていたら「何が入ってるの」ということになるだろうし、一時的とは言え狭いところに閉じ込めるのはかわいそうにも思えた。
 こいつの住まいのことも気になっていた。いくらなんでも虫かごでは、いまやもう牢屋だ。ハムスターとか文鳥とか、そういうものを飼うという経験は僕もひととおりしていたので、せめてあのとき使っていたケージぐらいのものは用意してやりたい。ただそうなると、ケージを使う名目が見当たらない。このころ既に家が建って、僕は狭い部屋だが1室あてがわれていたので、その部屋にあるクローゼットに閉じ込めておけばなんとかなるのだろうか。
 ただ、その考えには弱点がふたつある。ひとつ。練り消しがおとなしく暗いクローゼットの中で僕が指示するまでじっとしているかどうか。ふたつ。だいたい世の中の母親という生き物はそうだと思うが、子供にとって「隠しておきたいもの」の存在など認めず容赦なく白日の下にさらす。他はともかく、練り消しだけはどうしても親に知られずに手元に置いておきたい。いや、そばにいて欲しい。
 素直に僕は、練り消し本人に訊いてみることにした。
「僕がいない間、クローゼットに隠れていられるか?」
 練り消しは僕のデスクの上で2回ほど大きく頷いた。そして宙を舞ってクローゼットの前に来ると、身振り手振りでここを開けろと言ってるのが僕にはハッキリわかった。両開きのクローゼットの扉を開けると練り消しは中に入り、今度は閉めろと言っていた。
 しばらく後、内側からごく小さなノック音が聞こえた。開けてみろという合図なのだろう。そう思って僕はクローゼットの扉を再び開けた。そこに練り消しはいなかった。
「隠れているんだね?」
 そう言うと上の方から同じようなノック音が聞こえた。
「じゃあ、出てきてくれるかな」
 そう言うと練り消しはクローゼットの中の天板の端からにゅるにゅると出てきて、また元の通りの人型になった。そうか、天井裏という場所があるんだな。そしてこいつが練り消しであることを、僕はすっかり忘れていた。わずかな隙間さえあれば、こいつはいつでも天井裏に入り込める。ケージなど用意しなくても良さそうだ。
 僕は意思疎通ができて、気持ちを合わせて行動できる友達ができたことをこのとき心から実感できた。小動物を愛でるように、僕は練り消しを両手の中に収めて頬ずりをした。僕はもう、ひとりじゃなかった。圧力に負けてへにょへにょと曲がりながら、練り消しも喜んでいるのが感じ取れた。僕は少し、涙を流した。
 こうして問題が片付いた夜、僕は夜中に起き出して台所へ行き、あるものを適当に選び出して練り消しに食べさせた。自分の体重の半分ぐらいは、このころ余裕で練り消しは食べていたように思う。いて欲しくない親がいる日は、この手で一緒に乗り越えることにしよう。安心した僕はその夜ぐっすり眠った。