練り消しはそういう場所の方が居心地がいいようだった。明らかに普段より行動がのびのびしていて、僕の手から離れて草むらに分け入ったり、あの川のずっと上流から引かれているであろう田んぼの用水路に入ったりした。
 稽古日になるたびに、僕たちはもっと奥へ奥へと足を進め、ただ通りすぎるには惜しい景色が開けたらそこで遊んでいた。引っ越してきて以来初めて、僕は楽しいという感覚を思い出していた。いつもカネのことで喧嘩している両親も、珍獣でも見るかのように僕から距離を取って、たまにつついて観察している連中もいない、僕らふたりだけの場所。進むごとに、そういう場所が次々に開けていくようだ。このまま鬱陶しい人間関係を全部捨ててこのあたりの森の奥で暮らして行けたら、穏やかな心で毎日を過ごせるんだろうな。
 しかし剣道の稽古時間にも終わりがある。終わりの時間に合わせて家に帰らなければいけない。引っ越して間もなかった僕の家は、このころ森を切り開いて造成された新興住宅地に建つことにはなっていたが引っ越しに間に合っておらず、このとき古くさい借家に仮住まいだった。その家に帰る時間が少し遅れた。そこから、稽古時間に何をしていたか、足がついてしまった。
 僕には全く悪いことをした実感はないのだが、両親から数時間にわたってありとあらゆる罵倒を受け、レポート用紙10枚分の反省文を書かされた。引っ越す前には続けると行っていた剣道を続けられなくて申し訳ありません、という内容だった。それを言うなら、引っ越す前には買ってくれると言っていたカーボン竹刀を買ってもらっていない約束違反はどうなるんだろう?しかし、とりあえず僕が悪いということにしておかないと、これから食事にすらありつけそうになかった。僕は頭を下げ、反省文を提出し、習い事を投げ出したダメな人間という評価を受け入れることと引き替えに、剣道をやめることができた。もう、あの山の中に分け入る時間もなくなるんだろうな。そう思うと、まだそれほど馴染んでないはずのあの森の中の光景が、無性に懐かしく思えた。
 寝る前に、もう剣道の稽古には行かないよ、そう練り消しに伝えると、心なしか練り消しがシュンとしているように見えた。両親には、まだこの練り消しのことはたぶん知られていないと思う。こいつを守るためならば、僕は家でも学校でも袋叩きにされても、なんとか耐えられそうな気がした。大丈夫、お前のせいじゃないよ、そう付け加えて、両親の罵倒がまだ耳鳴りのように耳の中で唸っているのをなんとか意識から振り払いながら、僕は眠りに落ちた。


 そもそも、引っ越すことになった理由の大元が、僕の父親がダメ男だからだ。結婚のころ既に閑職に追いやられていたが、僕が生まれるころには子会社に飛ばされていた。子会社と言っても、銀座の端にある寂れた店舗街に小さい売り場を持つだけの、カメラや時計などを売る会社だ。うちには壁掛けの大きな柱時計がある。最新型のビデオデッキがいち早くうちに来たのも父がそういう会社にいたからだ。子供のころはそういうものが家にあることが自慢だったが、後で考えればノルマ消化のために父が自分で買っていたものだ。
 僕が小学校の中学年に進むころには、両親の喧嘩が多くなっていた。その理由がカネであることは、子供心にもわかった。母は働き出した。大手生命保険の外交員だった。いま僕が住むここ、つまり母が生まれ育った場所の方言は、東京で生き残り競争を毎日やっていて心がギスギスしている企業の社長たちにとって心に染み入る慈雨のようなものであったらしい。母はあっという間に企業を中心に顧客をたくさん抱え、優秀者として年始総会で社長から直々に表彰状をもらうレベルになった。母の収入は父の数倍あったらしい。
 そうなると、父が家に給料を入れずに遊びだした。夜遅くに電話をかけてきて、回らない呂律で「俺の彼女紹介するからお母さんに代われ」などと言って飲み屋の女性と母とを無理矢理会話させたりした。子供心に「お父さんは最近飲みに行くことが多いなあ」と思っていたが、後になって母から知らされた実態はそういうことだった。まるで自分だけが苦労したみたいな母の言い分もどうかと思うのだが、結局母は仕事を辞めた。こうしてうちはまた貧乏になった。
 僕がこの先、高校、大学と進学していくことに、父の収入では耐えられないことは明々白々だった。父はなんとなくいい仕事があったら転職を考えるようになっていた。また、母も場合によってはもっとちゃんとした仕事をしたいとは考えていたらしい。
 というわけで、ふたりともなんとなく生活を変えることを考えはじめ、ふたりにそれぞれ仕事の話が浮かんだのが、僕が1年しか在籍しなかったあの中学にいたころということになる。
 父は、機械部品メーカーが西日本進出の足がかりとして営業所を設けたいのでそこを取り仕切ってくれないかという話を受けていた。母は、父の養母がやっている飲食店を手伝って給料をもらうという話が出始めていた。同時に、新しい住宅地を造成して売り出している不動産会社のさらに親会社のエライさんとのコネクションができて、その住宅地をいい条件で買う話がまとまった。漠然と「機が熟した」感が出てしまった。登場人物全員が揃いも揃って「なんとかなるだろう」と思ってしまった。僕以外は。虐められて過ごした小学校生活からやっと解放されて、楽しい生活が始まった中学校を去りたかった理由が僕にあるわけがない。だが父いわく「お前の将来のために」僕は引っ越すことになった。
 母は引っ越し先の夢のような環境を語った。自然豊かな土地に建つ、広くて新しくてきれいな家。そこに住む、都会と違って大らかな心根の人たちとの心温まる交流。父も新しい仕事ではお給料がたくさん入るからいままでとは違う贅沢ができる将来を、自身目を輝かせながら語っていた。
 自然豊かな土地は間違っていなかった。が、大らかな心根の人たちとの心温まる交流というのは全くの嘘っぱちだった。引っ越す前なら「ごく一部の不良」だったような連中が、こっちの中学では過半数だった。女子たちからは目の前で堂々と「気持ち悪い」と言い捨てられた。そして、お給料がたくさん入るというのも幻だった。父はめぼしい取引先を数社獲得した時点で営業所の所長からフルコミッション制の営業に立場を変えられた。実質解雇だ。母は「手伝わせるとは言ったけど給料を払うなんて言ってない」と言われて、毎日祖母のやっている飲食店を手伝いに行き、往復の電車賃だけもらっていた。うちは無収入になり、なんとかなるだろ、と思って買った家のローンだけが残った。機械部品メーカーの社長も祖母も、社会的評価がどうあれ、僕にとっては両方とも詐欺師だ。
 以上のようなことは、その当時の僕は知らされていなかった。ただ、なんとなくわかった。カネが原因の喧嘩はどんどん激しさを増していたし、たまに一家そろって家の建っていく進行状況を見に行ったときにも、母は向こうを向いて泣いていた。馬鹿じゃないかと思う。唯一の資産なんだから、迷わず売ればいい。だが両親は引っ越してきた以上、母の言葉を借りれば「命懸けで」その家だけは守りたかったんだそうだ。何だか家に執着があるんだな、僕の母は。
 だが、単純に大工仕事を見ていて楽しかったので、僕は建築中の家を時々見に行った。学校から帰ったあとだから時大工さんはもういなかったことも多かったが、電気の線やなんかがどういう風に家の中を走り回っているのか、それを見るだけでも十分楽しかった。
 ひとりで見に行くときには、練り消しを連れて行くのももう当たり前のことになっていた。初めて床板が貼られたとき、その上に練り消しを立たせてみたときのことはハッキリと覚えている。練り消しの誕生以来、最大の平面。成長して5センチに届こうかとしていた練り消しだったが、それでもその床板はかなり広く思えたらしい。人間と同じだなと思ったが、そういうときは外周を回るんだな。このとき練り消しはそういうところを走ると、トテ、トテ、トテ、と小さいがハッキリと足音を立てるぐらいには大きくなっていた。
 この宅地を造成した不動産会社は、グループにバス会社も持っている。だからこの宅地の中には駅から直行のバスが1周していた。1カ所、バスが向かうのとは反対方向に同じ幅の道路が延びているので、そっちに行ったら何があるのか確かめに行くことにした。