1
気がつけばデスクの上に点々と落ちていたそれを、僕は最初は練り消しのたぐいだと思った。
僕には楽しみがない。意欲もない。親しい友達なんかいるわけない。それは僕が悪いんじゃない。楽しかった前の中学から、いまの荒れた中学に転校させた親が悪い。さらに言えば、親をふたりとも騙して転居に追い込んだ詐欺師が悪い。親は僕が何を考えているかなんて、そんなことには興味がなさそうだ。だいたい、顔を合わせる時間も、ふたりが必死になったときにはほとんどなくなっていた。僕は学校に行く直前に起き、ふたりがまだ帰ってくる前に、冷蔵庫の中身で簡単な食事を作り食べて寝る。別に不満はない。どうせ親ふたりがいたって、話題となればカネのことで喧嘩するだけだ。できれば土日も家にいて欲しくないくらいだ。
まあそんなわけで、一見練り消しに見えたそれの普通と違う動きには興味を引かれた。
ごま粒のようなものがデスクの上に落ちていた。指で突いたら粘土のようにも思えたので、使った覚えはないがデスクの上に落ちている以上練り消しだなと判断して、指先に集めて丸めておいた。捨てなかったのは、もしかしたら何か起こる予感があったのかも知れない。その練り消し状のものが僕に命じたのかも知れない。
毎日見ていたら、それは少しづつだが大きくなっているのに気がついた。僕はそのときは、もしかしたらこれはキノコのような原始的な植物か、あるいは噂に聞く粘菌のようなものかと考えをめぐらせた。それが生物であるのなら、食料を必要とするはずだ。何がいいだろう?やっぱり、カロリー高めのものの方がいいのかな。野菜炒めを作ったときに使ったソーセージを、1センチほどだけ残しておき、僕はそれをその練り消し状のものに与えた。与えたと言っても、この不思議なものが何をどうやって食べるかわからないので、その切れっ端の上に練り消しを載せておいただけだ。
結論から言えば間違ってはいなかったらしい。明らかに、少しづつだがソーセージは減っていたし、練り消し状のものはハッキリと成長の速度を速めた。あるときはハム、あるときは魚。僕はエサを替えながら、それの観察を続けた。
どれくらい経ったころだったろう。それは人間の形になり始めていた。医学の本を見たら何週間の胎児と写真が載っていることがあるが、あれよりもハッキリと大人の頭身だ。もしかしたらそのうち動き出すのではないだろうか?
案の定だ。それは最初は腕や脚を振り回すだけだったが、やがて座ることを覚え、つかまり立ちをして、そのうちひとりで歩き出した。こうなると気になるのが「逃げてしまわないか?」だった。
何年使っていなかったかわからない虫かごがある。あまりいい思い出のない小学校時代、数少ない友達と虫取りをしに行って以来、ほったらかしてあったものだ。僕にエロ本鑑賞という楽しみを教えた男だ。だから彼が遊びに来たとき、僕の母は「金輪際近づくな」と追い返した。それ以来出番がなくなっていた虫かごだ。嫌な思い出の詰まったものだったが、使えそうなものはそれしかなかった。
画用紙で作った射的の的のようにおおざっぱに頭と胴体と両腕両脚しかない、元は練り消しだったその生き物は、そのとき2センチほどになっていたが、人間と同じようにものを見たりする能力はあるらしく、虫かごに入れてやったらちょこんと底に座り込んだ。そして物珍しそうに周囲を眺めていたが、やがてせわしなく動き始めた。やっぱり閉じ込めるのはかわいそうなのか、そう思ったが、数分間観察していてそうではなかったことに気がついた。この練り消しははしゃいでいるのだ。テコテコと走り回ったり、でんぐり返しをして動き続けた。そうか、こいつから見ればここは安全で広い空間なんだ。手を壁に押しつけて、虫かごの網のとおりに型がついた手を眺めて心底楽しそうに転げ回った。
やがて動きが鈍くなった。お腹が減ったんだな、そう直感した。こいつが何を食べたいのか、僕にはよくわからない。しかしわかったところで、シェフは僕しかいないのだ。珍しいことに、そのとき冷蔵庫にマグロの中トロが入っていた。
「新居の祝いだ。食えよ」
そう言って僕は虫かごに一切れを入れた。こいつはこれをどうやって食べるのだろう?そろそろどうやって食べているのか見えてもいい気がするがな、そう思って観察したが、伏せてあるキン消しにしか見えなかった。
食事を済ませ、風呂に入り、僕はいつものように家に帰ってから誰とも会話せずに寝床に入った。違うのは、自覚できる限りでその日初めて意思の疎通をした練り消しの人型を部屋に持って入ったことだ。僕も珍しく興奮していたのだろうか、眠りに落ちるのがいつもより遅かったが、そうなると両親が相次いで帰ってくる。父は晩酌の肴がないことについて母を怒鳴りつけており、母は僕が食べたのだから仕方ないだろうと怒鳴り返していた。ふたりの会話というのは常にこんな感じだ。僕はもう眠ってしまっていたことにした。
2
朝、目を覚ました。
僕はだいたい宵っ張りの朝寝坊タイプではあるのだが、引っ越してからそれにますます拍車がかかった。早く起きたところで、朝から両親の罵り合いを見せられて嫌な気分になるだけだ。
そもそも僕の両親は、あまり仲がいい方ではない。この年代では珍しくないのだろうが、ちゃんとおつきあいをして互いの性格を知り抜いてできあがった夫婦ではないのだ。
東京出身の父は、僕が住むこの土地に養子に出されていた。それに反抗して何度か東京とここを行ったり来たりしたらしい。その父の養母が、母の父、つまり僕の祖父ということになるが、いずれにせよそういう人に世話になったんだそうだ。だから父の養母は、恩返しとして「娘の片付き先を見つけてやる」ことにした。自分の継子と世話になった人の娘の見合いをセッティングしたわけだ。
母は直前に見合いの話をひとつ蹴っていた。
「一度出戻ってきたつもりでうちに居れよ」
父親代わりの長兄に圧力をかけられていた。それでも、父との見合いは気が進まず、断りたかったんだそうだ。そりゃそうだろう。父は母より背が低い。母は特に長身というわけではないのにもかかわらずだ。いまだったら、よっぽど人間として魅力がない限り一目でほとんどの女性が彼氏候補から外すだろう。母は見合いの時に気になっていたことがあるそうだ。父の収入のことだ。
「それだけは聞いたらあかん。嫁取ろかという人が所帯でけんような収入のはずがあらへん。失礼や」
訊こうとしたら母は釘を刺されたらしい。見合いのあと、母は自分の母親からそれとなく感想を聞かれて、それとなく気が進まないと答えたら、深い深い溜息をつかれてしまったのだそうだ。
「新幹線もできたし、東京に行っても3時間で帰ってこられる」
そう思い直し、生まれて初めての東京暮らしを決意した。父が「大卒である」というだけで女の子にモテた時代の大卒、しかもそれなりに名門校出身なので、そこそこの給料は稼いでいるだろう、それも母にとっては自分を納得させるための材料であったらしい。
嫁ぎ先を見て愕然としたそうだ。日のあまり当たらない、6畳一間のアパート。嫁を取ろうという人が、家の一軒も持ってないのは非常識だと思ったそうだ。それはそれでまた感覚が狂っていると思うが、6畳一間で新婚生活を始めようというのもどうかしていると思う。さらに母を愕然とさせたのが収入だ。社会人であることを考えれば、男性の単身生活としても安い金額だったそうだ。父は青臭い感覚で上司に楯突き、それで閑職に追いやられていたらしい。
つまり、はじめから無理のあった夫婦ということだ。いまこの日まで、離婚せずにいることが奇跡だ。
そんなふたりは、当たり前のように朝からバトルだ。そんなものに付き合いたくないので僕はいつも登校ギリギリまで眠っている。そして逃げるように学校に行くのだ。本当は行きたくないけど。
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