小さな星々、夜空の深い紺色に、柔らかな光を放つ大きな月があった。
それを窓辺から眺めるひとりの少年。
その少年は、自らを「月の子」と名乗っていた。
彼が現れるのは、決まって「旅人」が「安らぎ」を必要としている時だった。
さて、今回の旅人はどんな「安らぎ」を求めているのだろうか……。

「あれ、ここは……」
一人の少女が目を覚ます。
真っ白な空間に、真っ白な窓があって、大きな月が窓越しに少女を照らしていた。
少女はきょろきょろと辺りを見回すと、背後からかつんかつんと音がした。
立ち上がった少女が振り返る。そこには背丈の小さな金髪の少年が立っていた。
「いらっしゃい、旅人さん。ボクは月の子」
にこりと微笑むその優しい表情に、少女は思わずぽっと頬をピンク色に染める。
「……あなたは」
「ボク? だから、ボクは月の子だよ。それ以上でも、それ以下でもないんだ」
少女は月の子を頭から足の爪先まで見る。
上品なお坊ちゃんのような服装をしていて、きっとお金持ちなんだろうなぁと少女は思った。
月の子はそんな視線に気づくと、くすぐったそうに「ふふっ」と声に出して笑い、少女の両手を自身の両手で覆った。
「よく来てくれたね。さあ、一緒にお茶でも飲もうよ」
そう言って、月の子が窓の方を見た。するとその真っ白な窓の先に落ちる月明かりの中に、先程までなかった真っ白なテーブルと椅子があった。
次に月の子が片手を翳すと、まるで魔法のようにテーブルの上へと次々にティーポットやティーカップなどが空間から現れる。
「あなた……」
「月の子って呼んで。ボクはあなたって呼ばれるの、あまり好きじゃないんだ」
「じゃあ、月の子君。あなたは、魔法使い?」
「さあ、どうだろうね」
「……もしかして、神様?」
「まさか」
少女ななんとなく、月の子は自分と同じ人間ではないかもしれないと思った。
でも、だったら何なのだろう。そう思って先程から聞いているのに、月の子ははっきりとは答えてくれないのだった。
「さあ、旅人さん」
少女は月の子に促されて椅子に座る。
それから月の子も椅子に座って、少女と向かい合う。
「ハーブティーはお好きかな?」
「ハーブティー……。あまり飲んだことがないからわからない」
「そう。試してみる気はある? 旅人さんにぴったりかはボクもわからないけれど、とても優しい味のハーブティーがあるんだ」
「優しい味なの? ちょっと、気になるかも。飲んでみようかな」
「うん。わかったよ」
月の子は透明のティーポットのハンドル(取っ手)に触れる。
すると何もないはずのティーポットの底から、綺麗な透明感のある赤茶の液体が湧き出るようにぐるりと渦を巻いてティーポットを満たしていった。
「わぁ……!」
「ルイボスティーだよ。温かい内に、どうぞ」
月の子はそう言うと、ティーポットを持ってティーカップにそのルイボスティーを注ぐ。
香りがふんわりと二人を包み込む。
少女はティーカップを持ち、口をつけた。
(甘くて、丸くて、優しい味……。美味しい)
その美味しさに目を細めて飲む少女を見て、月の子は嬉しそうに微笑んだ。
「ゆっくり飲むといいよ。おかわりも、もちろんあるからね」
少女はルイボスティーをゆっくりと飲んで、その味や香りを楽しむ。次第に眠気を感じ、少しばかり欠伸をした。
すると月の子は少女に優しく語り掛ける。
「旅人さんは、よく不安そうに月を見ていたね」
瞬きを少しして、少女はそういえば……と繰り返し見た月が頭の中で再生される。
(私、最近眠れてなかったなぁ……)
ぼんやりとした月明かりが少女を照らしていた。
(ああ、そうだ)
照らされた少女は目を閉じる。
やがて水底で生まれた泡が光を求めて浮かび上がるかのように、少女の記憶は思い出された。
月の子は頬杖をついて、少女を見る。
「旅人さん、今夜は眠れそう?」
その瞬間、窓がゆっくりと開き、外から穏やかな風が入った。
少女は月の子を見て、ゆっくりと口を開く。
「ええ」
頬を伝う温かな雫。
「今夜は……、いえ、今夜もきっと眠れる。それに、いつも見ていた大きくて儚げな明かりは、あなただったのね。月の子君」
そこには少女が成長した女性の姿が……。
月の子も微笑み、頷く。
「どうして、月の子君を見た時に気づかなかったのかしら。なんでもない日も、そうではない日もずっと一緒に居てくれたのに」
「ボクは旅人さんと共に在るだけだよ」
「そうね。でも、そのお陰で私は頑張れた」
女性は月の子に「ありがとう」と言って立ち上がる。
「旅人さんはこの先どうするの。眠りに就いて、目が覚めたその時に」
「さあ……。ただ、いつかは頑張りたいし、頑張らなければと思うの。だけど、少し聞いてもいい?」
「なあに?」
「私は、また頑張れるかしら」
「旅人さんがそう思うのなら」
「そう。じゃあ、私はきっとまた――」
その先の言葉が月の子の耳に届くと、月の子は女性に向かって深々と一礼する。
「いってらっしゃい、旅人さん」
月の子が顔を上げると、もうそこに女性はいなかった。

――真っ白な空間で、月の子は窓の外を眺める。旅人のことを思いながら。
どれほど時間が経ったかわからない。ただ、ふと月の子は窓の外から視線を外す。
その視線の先には……。
「やあ、いらっしゃい。旅人さん」
月の子はその旅人に声を掛けた。