「――な、何だこりゃぁ!?」
ある朝、目が覚めると、俺の身体は半透明になっていた。顔を洗いに鏡を見た時にゃぁ、腰を抜かしちまったもんだよ。何せ、身体が半透明でパリパリで――そう、オブラートみたいになっちまったからな。それでいて、骨や内臓は見えない。一体全体、俺の身体はどうなっちまったんだ?
自分の存在がこの世から薄れていく様な気がして、全く気味が悪い。
すかさず噂を聞きつけ、隣の家の爺さんが訪ねてきた。村一番のゴシップ好きで、「人の不幸は蜜の味」と言わんばかりの男だ。
「よう。お前さん、身体がオブラートになっちまったと聞いたが、本当かね?」
「……何の事だ?」
俺はぎくりとして後ずさった。身体が半透明だから、誤魔化しようがない。しかし、この状況をとても認めたくなかった。
(まだオブラートだと確定した訳ではないが、仮に本当だった場合が厄介だ)
「わしァ、特大の汗っかきでなぁ。年の割りに、手汗が滝の様に出るでのう。どれ、お前が本当にオブラートになったのか、触って確かめてやろうじゃないか!」
両の手をわきわきと蠢かせながら、薄ら笑いを浮かべて俺の方へにじり寄ってくる。
爺さんの目には、好奇心が強く映っていた。これでは、俺の命が危ない。しかし、玄関ドアは爺さんの向こうだ。
触られれば、一発。どうする?
「くそッ!」
一か八かだ!
俺は爺さんの脇をすり抜け、一目散に外へ駆け出した。
*
果たして、俺の身体は無事だった。
しかし、安堵している暇などない。爺さんが、血眼で追ってきているからだ。
「待てーッ! お前さんを売れば、わしァ大金持ちじゃぁぁぁ!!」
「うわーッ! 嫌だぁぁぁぁぁ!!」
半透明になった俺に、村中の視線が集まった。
「な、何だあれは!?」「ギャーッ、化け物ーッ!!」
人波を突き崩し、俺は必死で狭い村を逃げ惑うが、このオブラートの身体ではグネグネして素早く動けない。
自由の利かない身体を制御するには、相当な体力を使う。俺は間もなく息切れを起こし、よろけた拍子にコケてしまった。
「いてッ!!」
爺さんの魔の手が、目前に迫る!
「一欠けで良い。一欠け、お前さんの細胞をわしに分けてくれれば良いんじゃ」
「嫌だ」
俺は、尻もちをついたまま、後ずさる。
「なぁに、痛くはせんから安心しなさい」
「嫌だ、嫌だ嫌だ!」
かぶりを振って、更に後ずさる。
「後で医者に連れて行ってやるから」
「ひっ、く、来るなーッ!」
壁に背が付いたのを機に俺は半狂乱になり、手当たり次第、地面の砂利や底抜けのバケツを爺さんに放った。しかし、グネグネした手では、まともに狙いが定まらない。
抵抗も空しく、とうとう爺さんに捕まってしまった。
「さぁ、どうだ!」
爺さんが、俺の腕を掴む。
「ああッ、溶けるッ! 溶けちまうーッ!!」
俺の身体は、途端に溶けて消え――なかった。
「どういう事だ?」
「けっ、つまらんのぉ」
爺さんは、さももどかしそうに去っていった。
それを見届けると、俺はその場にへたり込んでしまう。
「た、助かった……!」
見上げれば、いつの間にか空が茜色に染まっている。
「爺さんのお陰で、今日は何にも出来やしなかった。さっさと寝て忘れよう」
俺は悪態をつきつつ、家に戻った。
*
「ふう。走り回ったら汚れちまったよ。風呂に入ろう」
俺は眠たかったので、身体を洗わず、そのまま湯舟に片足を差し入れた。
「あぁ、全くとんでもない一日だった。明日になれば、元に戻ってるって事はねぇかな」
もし戻らなかったら、腕の立つ医者か科学者にでも相談してみよう。
淡い希望を持った、その時だった。
――ジュッ!
足元から、おかしな音が聞こえた。俺は視線を落とすなり、思わずあっと声を上げてしまった。
「と、溶けてる……!?」
湯に差し入れた膝から下が、跡形もなく溶けているではないか!!
慌てて湯舟のフチを掴んで転がり出る。
「うわ、あ、あ――!」
(本当にオブラートだったのか!? でも、汗っかきの爺さんに触られても何ともなかったぞ?)
タオルで懸命に水気を拭き取ろうとするが、後の祭りであった。みるみるうちに、俺の身体は溶けてゆく。
「ギャーッ!!」
*
最期には、噴き上がる男の断末魔をも飲み込んで、オブラートは歴史の影へと去っていった。
この悲劇的なオブラート男の一生は、今も尚、村の奇妙な伝説として語り継がれている。(終)