「――な、何だこりゃぁ!?」

 ある朝、目が覚めると、俺の身体は半透明になっていた。顔を洗いに鏡を見た時にゃぁ、腰を抜かしちまったもんだよ。何せ、身体が半透明でパリパリで――そう、オブラートみたいになっちまったからな。それでいて、骨や内臓は見えない。一体全体、俺の身体はどうなっちまったんだ?

 自分の存在がこの世から薄れていく様な気がして、全く気味が悪い。

 

 すかさず噂を聞きつけ、隣の家の爺さんが訪ねてきた。村一番のゴシップ好きで、「人の不幸は蜜の味」と言わんばかりの男だ。

「よう。お前さん、身体がオブラートになっちまったと聞いたが、本当かね?」

「……何の事だ?」

 俺はぎくりとして後ずさった。身体が半透明だから、誤魔化しようがない。しかし、この状況をとても認めたくなかった。

(まだオブラートだと確定した訳ではないが、仮に本当だった場合が厄介だ)

「わしァ、特大の汗っかきでなぁ。年の割りに、手汗が滝の様に出るでのう。どれ、お前が本当にオブラートになったのか、触って確かめてやろうじゃないか!」

 両の手をわきわきと蠢かせながら、薄ら笑いを浮かべて俺の方へにじり寄ってくる。

 爺さんの目には、好奇心が強く映っていた。これでは、俺の命が危ない。しかし、玄関ドアは爺さんの向こうだ。

 触られれば、一発。どうする?

「くそッ!」

 一か八かだ!

 俺は爺さんの脇をすり抜け、一目散に外へ駆け出した。

 果たして、俺の身体は無事だった。

 しかし、安堵している暇などない。爺さんが、血眼で追ってきているからだ。

「待てーッ! お前さんを売れば、わしァ大金持ちじゃぁぁぁ!!」

「うわーッ! 嫌だぁぁぁぁぁ!!」

 半透明になった俺に、村中の視線が集まった。

「な、何だあれは!?」「ギャーッ、化け物ーッ!!」

 人波を突き崩し、俺は必死で狭い村を逃げ惑うが、このオブラートの身体ではグネグネして素早く動けない。

 自由の利かない身体を制御するには、相当な体力を使う。俺は間もなく息切れを起こし、よろけた拍子にコケてしまった。

「いてッ!!」

 爺さんの魔の手が、目前に迫る!

「一欠けで良い。一欠け、お前さんの細胞をわしに分けてくれれば良いんじゃ」

「嫌だ」

 俺は、尻もちをついたまま、後ずさる。

「なぁに、痛くはせんから安心しなさい」

「嫌だ、嫌だ嫌だ!」

 かぶりを振って、更に後ずさる。

「後で医者に連れて行ってやるから」

「ひっ、く、来るなーッ!」

 壁に背が付いたのを機に俺は半狂乱になり、手当たり次第、地面の砂利や底抜けのバケツを爺さんに放った。しかし、グネグネした手では、まともに狙いが定まらない。

 抵抗も空しく、とうとう爺さんに捕まってしまった。

「さぁ、どうだ!」

 爺さんが、俺の腕を掴む。

「ああッ、溶けるッ! 溶けちまうーッ!!」

 俺の身体は、途端に溶けて消え――なかった。

「どういう事だ?」

「けっ、つまらんのぉ」

 爺さんは、さももどかしそうに去っていった。

 それを見届けると、俺はその場にへたり込んでしまう。

「た、助かった……!」

 見上げれば、いつの間にか空が茜色に染まっている。

「爺さんのお陰で、今日は何にも出来やしなかった。さっさと寝て忘れよう」

 俺は悪態をつきつつ、家に戻った。

「ふう。走り回ったら汚れちまったよ。風呂に入ろう」

 俺は眠たかったので、身体を洗わず、そのまま湯舟に片足を差し入れた。

「あぁ、全くとんでもない一日だった。明日になれば、元に戻ってるって事はねぇかな」

 もし戻らなかったら、腕の立つ医者か科学者にでも相談してみよう。

 淡い希望を持った、その時だった。

 ――ジュッ!

 足元から、おかしな音が聞こえた。俺は視線を落とすなり、思わずあっと声を上げてしまった。

「と、溶けてる……!?」

 湯に差し入れた膝から下が、跡形もなく溶けているではないか!!

 慌てて湯舟のフチを掴んで転がり出る。

「うわ、あ、あ――!」

(本当にオブラートだったのか!? でも、汗っかきの爺さんに触られても何ともなかったぞ?)

 タオルで懸命に水気を拭き取ろうとするが、後の祭りであった。みるみるうちに、俺の身体は溶けてゆく。

「ギャーッ!!」

 最期には、噴き上がる男の断末魔をも飲み込んで、オブラートは歴史の影へと去っていった。  

 この悲劇的なオブラート男の一生は、今も尚、村の奇妙な伝説として語り継がれている。(終)